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by kairindian "indian_joe714"

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Mitakue Oyashine!! Hoponopono.

2011/3/11

東日本大震災により被災されました皆様に心よりお見舞い申し上げます。

また、この震災で失われてしまいました多くの方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。



この未曾有の大震災、並びに終息の見えない福島第一原発事故による多大な被災は、現在の日本・人類・世界への、地球や太陽系からの強烈なメッセージと受け止めております。


先ず、第一に放射性物質拡散に依る二次被害の収束、そして一日も早い東北・東日本の復興を願い、そして地球や太陽系の望む、未来の日本・人類・世界の「真の幸福」のために、役者・ナレーター・講師として、何より人として、微力ながら出来る事をして参る所存です。


2011/5/11
kairindian


『人の都合より自然の摂理を尊重し、地球を母、動物・植物を兄姉と敬い、大いなる神秘との出会いの為に』


大いなる必然の神秘と出会う旅。。。


みんなが幸福になること。


大切なのは、みんなが幸福になること!


ーkairindianー

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よし!

さてと、衆院選も終わったことだし、この先のこの国の歩みが想像できる。

よし、7世代先、150年先の未来に生きる子供達のために、やれることを一つずつやっていくとしよう!これまでと変わらずに。

kairindian

# by indian_joe714 | 2021-11-01 13:16 | Diary | Trackback | Comments(0)

2021.10.30

2021.10.30

明日は個人的にはあるプロジェクトの本番。
社会的には衆議院選挙の投票日だ。

私は早々に期日前投票を済ませたが、ふと、ある思いを抱いたので書き留めておこうと思う。

別にさっき急に思ったことではない。
これまでずっと思ってきたことである。

私は、神戸生まれ青森育ちの父と、京都の日蓮宗の寺に生まれた母が、東京で運命的に出逢った結果、あるタイミングで生まれてきた1人の人間である。

両親を其々尊敬しているし、あの2人の間に生まれた宿命もビシッと感じている。そのことに感謝もしている。この先、何をどうしてどうなって人生を終えて行くのかは見当もつかないが、いずれは私もこの世から去ってゆく身である。

それだけのものなのだ、私は。

だが、私が生まれた1970年には、出生届なるものを役所に提出しなきゃならないルールがあったので、届けた結果、私には「日本」という国籍が与えられた。というわけで、私は戸籍という人間の作ったルールの上で出生国は日本、種族は日本人ということになる。

その後すでに半世紀を日本人として生きたが、
義務教育で受けたことといえば集団行動順守。いや、もちろん友達や部活など色々あるのだが、学校教育としての印象はそんなものだ。つまり、たいして意味のないものだった。

それよりも、両親から受けた教育の方が大きかった。父親の哲学する頭と想像し創造する芸術家気質、母親の宗教心が私の頭上にはいつもあり、その2人があーだこーだと言い合い語り合い、怒って笑って飲んでいる。その様は今思い出してもどこかの神話の物語に登場してくる人物(神)の様だった。

そんな2人が、今生での人間社会生活、経済と科学に翻弄されてゆく人類の流れの渦に巻かれ、必死にもがきながら、苦しみながら、格闘しながら、それでも尚、父親は哲学し、母親は宗教を語る。そんな様を子供ながらにずっと見上げていた。

なもんで、学校に行って先生という大人に会っても全く刺激的じゃない。なんなら、子供の私が先生を眺めながら「あの先生もまだまだ若いなぁ」とか「もう少しこういうところがあぁなればこの先生も見込みがあるのにな」とか、根拠のないよくわからない達観した目線を持っていた様に思う。

いや、今回のブログはこういう事が書きたかった訳でじゃないのだ。

「ルールの無意味」

これがそのものズバリを言い表しているかどうかは置いておいて、そういう、人間が人間を管理する仕組みの無意味さを、いつも感じていたし、今も感じているということ。

人間の作ったルールで、社会を生きて行く上で最も密接なのは「法律」だろう。

それまでずーっと人間がが当たり前にやってきたことでも、ほんの数人が犯罪的なことをすると、やれ「危険」やれ「取り締まれ」やれ「ズルイ」と、なんでもかんでも法制化されるものだから、普通に当たり前に真っ当に生きている側からしたら何もかもがどんどん窮屈に締め付けられ、やってられんわい!という気持ちになる。

「あぁ、こうして法律ってのは作られてきたのか…」と思うのだ。

当たり前のこととして触れてこなかったが、この社会では1人で生きている人間なんていないわけで、誰もが少なからず「人の手」を借りて生きている。その意味では、人が人を思いやり、人が人とお互いに感謝し合い、助け合い、協力し合うことに関しては、人間の素晴らしい本能的相互精神と信じている。


だが、それがひとたび「法制化」されると、基準が「法律」になってしまう。

人を想う気持ちよりも「法的に」と言い出すアホが増えてきたのは、なんでもかんでも「法制化」してきた先人の垂れたクソ!とすら思われてならないのだ。言葉が汚いのは悪しからず。どうか赦されたし。

年を追うごとにどんどん増え続ける各種各種の税金、年金、保険料…

それもこれも私が選んだわけでもないのに、両親を選んで生まれてきたばかりに国籍と種族が定められ、了承もした覚えもないのに頑張って仕事して得た給金からどんどん吸い取られてゆく…仕組み。

いや、これとて仕方ないこと。なんならそれがみんなの為になるなら!とすら思わないでもないのだが、それが「法制化」され「ルール」になっている時点でどうにもこうにも納得がいかない部分が生まれてくる。

ましてや、それを管理する側の人間たちからは次々と不正利用、証拠隠滅、公文書改竄のオンパレードじゃ、納得したくても納得できるところが見当たらなくなる。

嗚呼…人間とはいったい何をやってんのか?

究極的に人類がアホらしく思えてならない時がままあるわけだ。

とめどなくつらつらと書き続けてしまいそうなので、今日はこの辺で留めておく。

そんなわけで明日は衆院選の投票日。

果たして私に国籍なるものを定め、種族も決めた日本国の日本人は、どんな未来を選択するというのだろうか?

未来を選択できるのだろうか?

せいぜいが「今」を選択するに過ぎないのではないか?

日本人にルーツを持つといわれるネイティブ・アメリカン(アメリカ先住民)は、7世代先の幸福を考えて生きたという。ざっと150年先だろう。

きっと、古の日本人もそうだったろうと思う。

果たして、現代日本人は何年先の幸福を考えているだろうか?

その視点から見ると、やはり、現代日本人の視野は、どうにもこうにも狭められているのではないか?と悲しくなる。

「法律」と「ルール」でがんじがらめにされた「集団組織」の論理に、個々の精神が蝕まれた結果は、未だ見ぬ近い将来の暗雲を感じさせる。こんな馬鹿げた騙し合いを続けるのは、いい加減にした方がいいのではないか?


kairindian







# by indian_joe714 | 2021-10-30 23:31 | Trackback | Comments(0)

「人の襷で相撲を取る」

まず初めに、僕は「死者に鞭打つ様な事」をしたいとは思っていないし、望んでもいない。


ただ、父のことに関しての間違った表現を見てしまった以上は、息子として見解を述べておくべきと考え、ブログに書いておこうと思った次第。


今日(2021年10月19日)のネットニュースで「バルタン星人の生みの親が死去」との見出しが飛び込んできた。


「ん?おかしいな、バルタン星人の生みの親は、僕の生みの親でもある成田亨であって、2002年に亡くなっているが...」


と思いながら記事を読み進めてみると、初めて「ウルトラマン」にバルタン星人が登場した回の脚本と監督をした人が他界した記事だった。


この人の名前は、生前の父から聞いていた。子供の頃から聞いていた。


「バルタン星人を生んだのは俺だ!なんて言ってるのがいる」と。


子供だった僕自身は、たとえそれが親のことであったとしても、当時の大人の世界のことは知る由もない。


ただ、普段から寡黙で、物事をじっと深く考えるタイプの父の口から、時折出てくる数名の人間の名前は忘れ様にも忘れられない。


それほど、父からしたら許すことのできない、また許されざる行為をした人なのだろうと、子供心に思ったものだ。


そのうちの一人が亡くなったという記事だった。


父からは


「(ウルトラQで父がデザインした)セミ人間に、ハサミを持たせて欲しい」


という変な注文をする監督がいて、


「単にハサミを持たせるだけじゃ面白くないから大きなハサミにした」


と聞いていた。


父の言葉の中には軽蔑が含まれていた様に感じた。

「何かを生み出すことをせずに、過去にあるものを利用して新しく見せたい」だけなら良い点もあるが、経費をかけずに会社に貢献することで会社での自分のポジションを守りたいという、生みの苦しみを避けながら産んだ様に見せ、利益だけは上げたいという大人のズルさだと、父は感じでいたのではないだろうか。


そう感じながら、当時の父はその要望を受け入れたのだろう。そして受け入れながらも、ただスーツを着たセミ人間に普通のハサミを持たせるだけではなく、


芸術家としての矜持をまったく新しいデザインにして返す父だったのだと、バルタン星人を見て思ったことを覚えている。


異様に大きなハサミ...いや、ハサミと言っていいのだろうか?なんとも不思議な巨大な形状の......常識はずれな...ハサミ...


そしてセミ人間の頭部には台形に尖った角の様なものが増え、身体の模様も形状も少しずつ変化させ、当然ながらセミ人間の着ていたスーツは父の新しいデザインでは脱がされていた。ハサミだけでなく、全体のバランスを考えて父は新しい形、新しい宇宙人をリデザインした。


「セミ人間がハサミを持った!」とは誰も気づかないであろう、ハサミだけでなく、全体のバランスを考えて、全く新しい異星人を父はデザインしたのだ。



それが「バルタン星人」なのだ。


確かに、テレビ番組で監督と脚本はしたのだろうし、バルタン星人の名前をつけたのかもしれないが、それならば正しくは「バルタン星人の回の監督と脚本をした人」か「バルタン星人の名付け親」というべきであって、間違っても「生みの親」と言う言葉は使えない...と言うか、常識的に考えれば使わないだろうと思うのだが...。


「生む(産む)」という行為は、人間の出産同様に苦痛や葛藤、喜び、安堵など、様々な経験に時間を費やした結果としてあるものだろう。


「バルタン星人」において、その時間と経験を費やしたのは父であるし、その意味では生んだ(産んだ)のは成田亨のはず。


生まれた子に名前をつけた人が「俺が生んだ」とは普通は言わないだろう。


仮にそんなことを言う男がいたら「は?大丈夫ですか?」となるだろう。



少なくとも僕の父は幼少期の僕に対して

「お前は俺の息子だ」とは言ったが「お前は俺が産んだ」とは言わなかった。日本語として言えるはずがない。極めて常識人だった。

僕の母は「私がお前を産んだ」と言った。それが正しいし、その母に父は「いや、俺が産んだんだ!」とは決して言わなかった。当然だろう。


今日のニュースで「生みの親」と言う言葉が使われた理由、経緯はどこにあるのだろか?

記者が勝手に書いたのだろうか?どこかからソースとして出されたのだろうか?

それは僕にはわからないが、間違った表現は大きな誤解を生む。誤解というより、嘘を真実にしてはいけない。


この界隈には「みんなで考えて絵描きに描かせた」と吹聴した人間も過去にいたし今も生きている。父は言っていた「その『みんな』とは誰だ?いるなら僕の前に連れて来い。いる訳がない。僕がデザインした時はいつも一人、誰かなんていなかった。そして僕が描きあげたデザインに文句をいう人間もいなかった」と。

「みんなで会議した?」

嘘を真実にしてはいけない。


追記:当時、テレビ映画として制作された「ウルトラマン」には、才能の有無に関わらず多くの人が関わっていたことと理解するし、その中の個人を誹謗中傷する気は無いことを改めてここに記します。誰とは言わず、この世を去りゆく全ての人のご冥福を祈ります。


kairindian





# by indian_joe714 | 2021-10-19 22:56 | about my father | Trackback | Comments(0)

あなたに、私に、問う

仕方ない、しょうがない…

変わらないし、変えられない。

この重く垂れ込めた閉塞感の中で、光を探し続ける。


沖縄戦でガマに隠れた市民たちの所に、日本兵が入ってきてしまったために失われた生命や…

あと10秒、どこかで立ち話していれば避けられたかもしれない事故や…

上がしっかりしていれば下が無駄に死ぬことのなかった戦争そのものや…

この世の事象はあらゆるタイミングの一致で良くも悪くも転んできた。

若者を戦地に送って戦死させ、自らは生命惜しさに敵に寝返って生き延びる日本人もいる。

その孫は、嘘に嘘を重ねながら今も国民を騙し続けている。

吹っかけた戦争で、武器商人が儲けるように…

ばらまいたウイルスで製薬会社が儲ける戦争…

歪んだ強欲で理性を失った狂人が始めたことで、歴史上、これまでにどれだけの生命が奪われてきて、現在進行形で奪われていることだろう。。

今も何も変わらない。

やり方を変えただけで、やっている事は何も変わらない。

何も成長していない。

1ミリも進歩していない。

幻想の中で夢を見て、一時の変化を永遠のように錯覚して真理を見失う、、、

この重く垂れ込めた空気…

何もわからないのに、わかったように判断する。

僕が「どうしてそんなことしたんだ?」

と思うことも、相手からしたら

「お前はなんでそれをしないんだ?」

だろう。

戦争が始まれば

「始まったものは仕方がない、やり通す」

という者もいれば

「やめさせるべきだろう、せめて加担はしない」

という者もいる。

どの様な状況においても、右という者もいれば左という者もいる。

そうして生まれる心の隙間に、ここぞとばかりに土足で侵入してくる寄生虫もいる。

誤解が距離を生み、判断の違いが道を違え、気づいた時には川のあっちとこっちに分断される。

そして川のあっちに行った者も、こっちにいる者も、やがては皆が等しく死ぬ。どちらも永遠には生きない。

国や企業の論理に翻弄されて死ぬ。
個の尊厳に執着し自由を求め死ぬ。

どちらもどちらにも影響しながら、混ざり合って死ぬが、結局最後に大切になるのは、遺された人が見るその人の生き様であり、その個人が、何を選択して生きてきたかなのだろう。

子育てを終えて仕事を引退し老人になった時に、「やっと自分のしたいことができる」と、個に目を向ける様になる人も多い。

そして、その時にやっと気づき始める。

大切なことが何だったのかを。

自分が如何に間違った選択をしてきたかを急に反省し始める、そんな先人も多く見てきた。

老いてなお、何も気づかず死んでゆく者もいる。

遅いんだよ。

大事なのは、今、この瞬間の積み重ねでしかかないなのに。

気付くのは老人になってからの特権ではない。

次世代が少しでも早く気づけるために、素敵な老人はその経験を語ってくれる。愚かな老人はその醜態を晒してくれる。そのどちらからも学ぶことができれば、そこには感謝すら生むことができる。

個人が自分を捨てて組織に身売りすると、自分の思考よりも組織の論理が正義になる。

そしてそんな人間が増えた結果、政治も当然のように個人より組織を優先する様になる。

負の連鎖が生む流れなのだと痛感している。
個を捨てた者の失敗の連鎖なのだと学ばされる。

選挙で投票するのが大事!とは思うが、それ以前に、一人一人の生活が企業に支配されないこと、一人一人が自らの思考を持ち、何より生命を重んじ、企業の組織論理に毒されないことがいかに大切だろうか。先の戦争で、軍という組織の先導に従った失敗は経験したのだから。

基本的人権や主権を放棄して生きる人間が増えれば、その隙間に入り込み「憲法そのものを変えてしまおう!」という輩が出てくるのも頷けてしまう。そんな寄生虫を生み出しているのは、他ならぬ、個の尊厳を放棄して組織を優先して生きている一人一人の人間なのだ。

あなたの今日の思考は、判断は、あなたの思考であり判断なのか?

それとも、あなたの周りを囲んでいる集団心理に従った思考であり判断なのか?

それが、この国の政治に繋がり、未来に繋がるのだという自覚を持って思考し判断しているのか?

個の尊厳とは、決してわがままや自分勝手を指しているのではない。個の尊厳を本当に大切にすればするほど、自発的に他者への思いやりや協力、助け合いが不可欠になるものであり、それは企業の様に集団の論理を上から押し付けるものとは真逆ということ。

何が大切か?

僕は問い続けたい。

他人に対してはもちろん、自分に対しても。


kairindian

# by indian_joe714 | 2021-09-05 09:40 | Diary | Trackback | Comments(0)

俺も、梅雨も中休み…

俺も、梅雨も中休み…

免許更新、魂三郎の車検してくれる車屋さん探し、打合せ…

NUHに1日居れても家のことは何もできそうにないが仕方がない。

曇りながら雨でなくて良かった。

マグさんのエンジンを回してあげられる…風はいい!潮の香りがいい!

一昨日からハマりハマっている「ダイナミック琉球」を走りながら歌う快感!いろいろ吹っ飛ぶ。

いろいろ吹っ飛ぶと、さらにいろいろ吹っ飛ばしたくなったり、ブッ飛ばしたくなったりするが、そんなこんなも吹っ飛ばして、潮風を浴びながら走る。

明日からの芝居の稽古世界を想う…

生きている。

生き抜いて、
そして去る。

命を謳歌し、
命に感謝し、
命を果たす。

それができれば最幸。

それしかない!

kairindian

# by indian_joe714 | 2021-07-06 11:51 | NUH | Trackback | Comments(0)