Aho Mitakue Oyashin !! Ho oponopono !! Native Yamato -kairindian's blog!!- このブログは成田浬(カイリ)本人が書いています。勝手ながら記事へのコメントは承認制にしております。


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kairindian's・・・

2011、3、11・・・
東日本大震災により被災されました皆様に心よりお見舞い申し上げます。

また、この震災で失われてしまいました多くの方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。



この未曾有の大震災、並びに終息の見えない福島第一原発事故による多大な被災は、現在の日本・人類・世界への、地球や太陽系からの強烈なメッセージと受け止めております。


先ず、第一に放射性物質拡散に依る二次被害の収束、そして一日も早い東北・東日本の復興を願い、そして地球や太陽系の望む、未来の日本・人類・世界の「真の幸福」のために、役者・ナレーター・講師として、何より人として、微力ながら出来る事をして参る所存です。


2011、5、31
kairindian


『人の都合より自然の摂理を尊重し、地球を母、動物・植物を兄姉と敬い、大いなる神秘との出会いの為に』


大いなる必然の神秘と出会う旅。。。


みんなが幸福になること。

大切なのは、みんなが幸福になること!

ーkairindianー

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再び・・・気仙沼支援物資搬送・復興作業を終えて-詳細2-

前回より続き・・・



4月13日(水)


早朝5時45分起床。
SAで朝食を取り、歯を磨き、ガソリンを満タンに。

6時30分。無事に名古屋チームと合流し気仙沼へ向けて出発。

一関IC でバンが先頭になり通行証を提示し、
他の車両にも適用される様に頼んでみたが、あえなく却下。
(とは言っても、帰京してから必要書類を作成して申請すれば、
適用も可能との事。手間はかかってしまうけど、助かる対応。)

気仙沼のトイレ事情もハッキリわからないので、インター出口の
たった一つしかないトイレへ・・・

全員並んで、随分時間をロスしてしまった。


気仙沼には9時半過ぎに到着。

2週間前にも顔を合わせた『うを座』の面々が待っていてくれた。
いや・・・待たせてしまった。m(_ _)m


早速、2tトラック、バン、2tコンテナ、バンの物資を、
皆で協力し積み降ろし。

物資事に番号をふっていたので、非情にわかり易かった。
前回から学んだ事。

これから今日の搬送先事に物資の仕分け作業に入るのだが・・・


ここで昨夜の問題が出てきた。

蔵王PAに置き去りにされている名古屋チームの2tトラック。
この2tトラックには気仙沼ではなく、南三陸へ運ぶ物資が満載されている。

相談の結果、僕がこちらの2tトラックを運転し、名古屋の2tの荷物を積み替え、
南三陸へ向かう事に。

気仙沼の方々と会えず、物資と気持ちを直接手渡し出来ないのは心残りだったが、
それは残った皆に託す事にして・・・


名古屋チームの伊藤さん、齋藤さんは2tコンテナで、
僕の2tトラックには秋田さん、宮脇さんが同乗し、
再び東北道を、南へ80km下るため出発した。

ーーーーーーーーーーーーーーー

同乗の秋田さんはRUN FOR PEACEの代表。
走る事でファンドレイジングするという、楽しく、賢く、健康な団体!

宮脇さんは、仙台で住宅関係の仕事をされているが、休みを利用し、
今回はお手伝いでかけつけてくれた若者。

遠くは宮城県で・・・
初対面の名古屋の女性と、仙台の若者と、東京の僕が、トラックの最前部に並んで走る。


『正面から見たら面白い光景だろうなぁ・・・』

なんて思いながら走った。


道中、いろんな話しをしながら、語りながら・・・

秋田さんはかなりのスピリチャルな方で、アセンションの話し、マヤの話し、これからの世界の話し・・・
決して人に強要しない、穏やかな口調で、でも芯のしっかりとある、やさしい空気に包まれた方でした。


宮脇君は、始めこそじっと人の話しを聞く、返事のしっかりした、体育会系?な気持ちのいい男子。だった。
だが・・・やはり彼も、19歳の時、四国へ単身お遍路の旅に出ていた。
海外旅行や浮いた旅ではなく、四国へお遍路。しかも19歳で。
その話しをしてくれた。
彼の言葉には、やはりしっかりと芯の通った、そして地に足をしっかりつけてこその、
未来への希望が込められていた。


僕も随分とおしゃべりをしたようだけど・・・笑


今回の状況と場所・・・も大きく影響はしている事だろう。
それでも、こうして昨日まで知らなかった人と出会い、
様々な話しが出来る幸福、発見・・・

『これもまた、大きな運命の流れの中で、出会わせていただいているんだな。』

僕は不思議な縁に感謝し、意義深い流れに感動していた。

ーーーーーーーーーーーーーーー

途中、長者原SAで昼食を取り、蔵王PAへ到着。

高熱でグッタリと倒れ込んでいる様な2tトラックから積み替え作業。

終了後、南三陸へ向けて出発。

ナビは宮城県の宮脇君がかって出てくれたので助かった。

仙台南部道路から仙台東部道路を北上して走った。


高速の右手には・・・永遠と続く太平洋岸。


仙台空港付近から〜宮城野区・・・

荒浜・・・

仙台港・・・

多賀城市・・・

塩竈市・・・

松島市・・・

東松島市・・・

石巻市・・・

牡鹿半島・・・

女川・・・

北上川を越え・・・

志津川・・・

そして

南三陸町・・・



2〜3時間は走ったろうか・・・。

その間、およそ90km。


海岸線を走っていた訳ではない。

高速を走っていた。

それでも高速の下まで・・・

場所によっては高速を超えて左手にまで・・・


津波は来ていた。。。


高速の右手は、遥か彼方の海岸線は・・・

誰もがニュースで見ている、あの惨状。。。


『こんなところまで・・・・・・これだけの広大な大地を全て・・・・・・』


『これだけでも・・・宮城県の一部なんだ。』



青森県、岩手県、福島県、茨城県、千葉県。

この一つ一つの市が、町が、どこもあの惨状なのだ。


『500kmに及ぶ東日本の太平洋岸が、壊滅しているんだ。』



農業と漁業の日本が・・・



加えて東京電力福島第一原子力発電所の爆発。

今でも毎日放出され続けている、精製したての新鮮な放射性物質。



・・・途方に暮れる。



そんな事を感じながら・・・考えながら・・・

南三陸町に入って行った。



南三陸町を山の方から入って行ったのだが・・・

まだ海も見えない所で、すでに全てが流されている光景が飛び込んできた。




『ここもか・・・』



頭ではわかっていても、こうして見せつけられると、新たなショックが生まれる。


ショック・・・

一言でショックと言ってしまうが、[ショック]とは・・・その影響は想像以上に大きい。



壊滅している町の中、屋上にアンテナのあるコンクリート3階建ての建物が建っていた。
窓ガラスは全て割れ、津波の通過点であった事は明らかだった。


『防災庁舎の建物です。』

宮脇君が教えてくれた。

『防災庁舎ってあの・・・?』


震災後のtwitterで、僕の所へも入ってきた。
何度も何度も耳にし、その都度、涙した。


『ここだったのか・・・・・・・・・・』


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


宮城県南三陸町役場、危機管理課の遠藤未希(えんどうみき)さん。24歳。
遠藤未希さんは大津波に襲われる最中、防災庁舎の中、防災無線を通して、
大津波警報を発し続けていた。アナウンスし続けた。

「大津波がきます!急いで、高台へ避難して下さい!」

大津波は防災庁舎をも襲い・・・

最後までアナウンスしていた遠藤未希さんは、未だ行方不明のまま。
今年、結婚したばかりで、9月には結婚式と披露宴を開く予定だった。。。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


あの防災庁舎のボロボロに残っていた光景は、決して忘れる事は出来ないだろう。


涙が溢れてきて...


辛い光景だった。


『未希さん!本当にありがとうございました。きっと御陰様で助かった方が沢山います。
本当に恐ろしく、さぞや怖かった事と思いますが、未希さんが最後まで精一杯頑張った事は、
遠く離れた東京の僕にさえ届いています。どうぞ・・・どうぞ、今は、ゆっくりとお休み下さい。
最後まで、本当に、ありがとうございました。』



溢れ出ようとする涙を噛み締め、心の中で合掌した。




車は南三陸町の被害地を抜け、高台へと進んだ。
ここでは電気の復旧は未だされていず、信号機も点いていない。

運転者はゆずり合いで運転している。

やがて目的地である、三浦さんのお宅に到着した。

2tの物資を皆で下ろし、三浦さん宅の倉庫に搬入した。

三浦さんとのしばしの立ち話があった。


三浦さんのお宅へはRUN FOR PEACEのお手伝いと思っていたので、
僕は少し離れた所で耳だけ傾けていた。

印象に残った三浦さんの言葉は・・・

『こうして物資を届けてもらう事は本当に感謝しているし助かっている。
しかし、もらう事に慣れてしまって、助けてもらう事に慣れてしまったら、
この町は本当に立ち上がれなくなってしまう。
こうして助けてもらいながら、何とか自分達で立ち上がり、仕事を作って行かなきゃいけない。
今はそう考えているところです。』

それを聞いて僕は、

『僕らよそ者の出来る事はたかがしれている。
放っておけないから出来る事はさせて戴きたいけど、
この町で生まれ育ち、愛着があり、思い出があり、この町を愛している人達でなければ、
本当の復興は出来ないだろう。
三浦さんの様な方が居て、協力者が居て、自らの力で立ち上がって欲しい。
その為だけに、僕は出来る事だけする。そして先が見えたら応援する。
「小さな親切大きなお世話」になる事だけは気をつける。』


とココロに刻んだ。



陽も沈み、辺りは暗くなり、肌寒くなっていた。


気仙沼へ向けての帰路についた。


気仙沼ではcareチームが待っていてくれた。
驚いた事に我々の拠点の目の前のラーメン屋さんが開店していて皆そこにいた。

温かいラーメンを食べて、大満足。美味しかったー!


被災地のお店でご飯を食べる事・・・もちろん考えた。

それでも営業しているなら、食べて、経済をまわす事に協力するのも、
大事な復興の手助けになるのでは・・・?

三浦さんの言葉もあったので・・・
ラーメン屋さんの女将さんに感謝し、応援の言葉を残し・・・

今夜の宿泊場所の駐車場へ移動した。


駐車場ではRUN FOR PEACEチームがバンの後ろを開けて、ガスコンロでお湯を沸かし、
ウィスキーのお湯割りを勧めてくれた。

さながら「オープン・バン・BAR」といったところだろうか。


身体の芯から温まり、明日の作業の鋭気を養うため・・・

今夜も寝袋にくるまった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

4月14日(木)

車中泊にも慣れてきた。
公衆トイレもあったので・・・助かった。

朝6時半には起床し、朝の新鮮な空気を全身に吸い込んだ。
東京とは違う、宮城県の新鮮な空気・・・


「この新鮮な空気にも、放射性物質が混じってるのか・・・」

ここでも頭の中を、よぎりたくもない事がよぎる。


今は考えても仕方ない。と割り切り、持参したガスコンロに火をつける。
段ボールで周囲を囲ったが、風が強くすぐに消えてしまうが、
何度もチャレンジしているうちに・・・お湯が沸いていた。

朝のcoffee一杯。

気持ちが安らいだ。


8時半。
ボランティアセンターへ向けて出発。
先導していた車が道を間違えてくれたお陰で、
前回にお世話になった小野寺さんと会う事が出来た。

目と目で交わした会話。
固い握手。

涙が溢れそうになった。。。


3・4日前から、気仙沼市でもようやく県外ボランティアの受け入れが始まっていた。
集まっていたボランティアの人達。80名だった。

ボランティアセンターの方々もまだまだ慣れていない様だ。
何もかもが初体験。

あれだけの地震・・・津波・・・被害・・・

行き先も決まり、ネコ(1輪車)3台、スコップ8本、バケツ3個、ほうき3本、他・・・
を積み込み、2台のバンに乗り込んだ。


21歳の時の、工事現場のバイトに出発する光景に似ていた。


現場に到着。
一軒の大きなお宅だった。

95歳の男性が一人でお住まいになっている家だそうだ。
家人は無事に避難し現在は避難所生活を送っているそう。

「命が無事で良かった。」

リーダーの小野寺さん
(前述の小野寺さんとは別人。県内ボランティアの方。宮城県には小野寺姓が多いらしい)
の指揮で作業が始まる。

床下のヘドロの排出作業。
汲んでも汲んでも出てくるヘドロ。

結局一日中、部屋、庭のヘドロの掻き出しだった。


ヘドロ・・・
ひとくちにヘドロと言ってしまうが、それはありとあらゆるモノを破壊し、
飲み込んだ津波が押し寄せ、運び込んだモノ。

魚・海藻・ビニール栽培のビニール・ガラスの破片・木片・鉄片・誰かの思い出の品・食べ物・
薬品のビン・その中身・土・砂・洋服の切れ端・海水・油・・・・・

そんなヘドロの中から・・・


生きたカニが出てきた。


横歩きで出てきた。


ヘドロの中で生きていた!


生物の生命力に驚き・・・感動した。


カニでも嬉しかった。


自分が蟹座だからかもしれないけど、嬉しかった。



ヘドロを掻き出し、袋に積め、50キロ程に膨れ上がった袋を運び、捨てる。
ヘドロを掻き出し、ネコに乗せ、運び、捨てる。


何度繰り返し、往復しただろう。


午後3時。

今日の作業の終了時間。


確かに、ヘドロを掻き出した分だけ綺麗になった。

しかし、このお宅だけでもまだまだ何日かやらなければならない。

隣のお宅はまだ手つかず。その隣りのお宅も、またそのお隣の・・・


見渡せば、「何年かかるんだ・・・」

と言いたくなる程、無数の家・・・

トラックが2台突き出ている家。電柱がのしかかっている家。車が乗っかっている家。


まだまだ何もだ・・・


果てしなく感じた。


とにかく、人出だ。人出が足りない。

関東より西の人間全員がやってきて、全員でやってもまだまだだ。

と思える程の被害。


重機での作業には限界がある。
最終的には手作業でしか成し得ない。


人出が足りない。


東京に帰ったら、声をかけよう。
次は人出だ。


そして、今回の気仙沼支援活動は終わった。




帰路・・・

一関IC手前の岩手県の高台の温泉へ立ち寄り、へドロまみれの身体を洗った。
気持ち良かった。スッキリした。これで東京まで気持ちを入れ替えて運転出来る!

被災者の方々の中には、簡単にお風呂にも入れない方々が大勢いる。
入りたい時にお風呂に入れて、寝たい所で寝れて、食べたいものを食べれる幸せ。

この当たり前の幸福を、1日でも早く、1人でも多くの人が実感出来る様に。

今、やれる事をやる。

改めてそう思い・・・

帰京への道に。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


4月15日(金)


途中、栃木県の上河内SAで最後の車中仮眠。

朝5時に起床。

無事に帰京し、返却すべきものを返却し、部屋に帰り・・・


ホッとした。



被災地の方々にも、早く・・・


ホッとして欲しい。



『次は、人出だ。。。』



kairindian
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by indian_joe714 | 2011-04-25 03:34 | 復興支援 | Trackback | Comments(0)

再び・・・気仙沼支援物資搬送・復興作業を終えて-詳細1-

4月10日(日曜)

本当に嬉しい事に、多くの方々の積極的なご協力のお陰様で、
この日までにも随分支援物資が届いていました。

同じ声の事務所〖アクセント〗の村田博美さん。
前回は、仕事の現場が偶然一緒になり、支援金のご提供をいただいたのですが、
今回は物資の提供をして下さると言う事で、愛車のハリノ助で受け取りに伺いました。

予定時間より少し前に到着し連絡し、車から降りて待っていると、
ご自宅とは違う方向から・・・

『成田さーん!』

声のする方を見てみると・・・

ヘルメットを被って颯爽とやってくる自転車っ!

麺つゆを用意して下さっていたのだが、麺つゆには麺類が、そして麺類にはボールやお玉・・・
と、必要なモノが増えていったらしく、朝から購入してきて下さったのでした。

こういう「気持ち」。。。


w(^o^)w


軽く立ち話をして、またの再会を約束し・・・

支援物資集積所をかって出てくれている平木寛子邸へと向かいました。

平木邸には、今回同行するCARE-WAVEの沓沢周一郎さん、松村達冬さん。
そして道中の高速情報を東京からナビしてくれる前田織里奈さんも来てくれました。

物資の量を確認し、仕分け方法、運行予定等を話合い、解散。

その後芝居を観劇し、夜にはもう一つの集積所。

田川光希さん・石原満里奈さん宅へ

二人はCARE-WAVE理事長の鎌田真由美さんの生徒で、
今回の協力に手を上げ、現地同行もするという。

二人で同居しているので部屋数もあり、和室には物資が山積みされていました。

果たしてバンだけに積み込めるか?

焦る程の物資の量に、多くの方々のご協力の「思い」を感じたのでした。


また、CAREーWAVEスタッフの伊藤由佳さんは、この日も大好きなミュージカルの観劇。
その後わざわざ遠いにも関わらず、カラの携行缶70L分を、
我が家の隣にあるガススタまで運んできてくれていた。

ガススタには伝えてあったので、快く引き受けて下さった様。


感謝。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

4月11日(月曜)


前回に引き続き、加藤事務所さんがバンを提供下さった。
高速道路が復旧し一般車が通行可能になった事で、緊急車両通行証の発行はもうされていない。
今回の気仙沼行きでは唯一、このバンだけが通行証を持っている。
貴重な車両。

高円寺駅から徒歩15分。
加藤事務所さんから鍵を受け取り、お借りしたバンに乗り込んだ。

まずは我が自宅へ。

ハリノ助(我が愛車)には、物資ではないが欠かす事の出来ないモノが積まれていた。
我々支援隊の食料、水、数人分の寝袋、ガムテープ、ひも、台車、等々・・・

これらをバンに積み替え、ガススタへ。

昨日、CAREスタッフの由佳さんが届けてくれた携行缶に
ガソリン満タン70L。トラック用の軽油20L。

そして、これまた前回同様、
同じ声の事務所〖アクセント〗に所属する風間勇刀さんが、
台車と携行缶にガソリン満タン20Lを提供してくれた。

本当に有り難い。



夜には・・・


4月5日のブログにも書かせてもらったが、気仙沼出身の大学生。
今は同郷の4人でバンドーthe Revaizーを組んでいる志田淳君の・・・

復興支援ライブに顔を出す事が出来た。


故郷、宮城県気仙沼市。
2011年3月11日。未曾有の大地震、巨大津波に襲われ、
津波により破壊された重油タンクの油が流出し火災・・・

燃え盛る火は、津波に乗り、街全体を炎で包み込んだ。


その気仙沼で生まれ、育ち、全ての記憶が気仙沼の土地と共にあった淳が・・・仲間達が・・・
惨状を目の当たりにし、俺には想像もできないココロの空虚感を感じたことだろう。

その4人が、こうして震災からちょうど1ヶ月後に東京新宿で復興支援ライブをやった。

素晴らしいことだ!

20歳も年下の彼等は、これから先、この大震災が故郷に残した爪痕と共に生きて行く。

故郷には、彼等よりも苦しい状況にいる人々、仲間達が大勢いることだろう。


それでも、全てオリジナル曲の中、MCで淳は言った。


『2011年3月11日を超えて生きている人達には意味がある。
生きている僕らがこれからを創って行く。』


この4人の思いを、俺なりに胸に抱き・・・

『明日、気仙沼に向かう。』と心に誓ったのだった。

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ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


4月12日(火)

出発の日。

俺の運転するバンは田川・石原邸へ
積み込み作業終了後、平木寛子邸へ・・・

の前に・・・

劇団青年座研究所の後輩で女優として活躍している
もたい陽子さんが、物資を提供したいと申し出てくれていたので、
途中立ち寄り、お預かりしました。

実はもたいさん、ツイッターで情報を拡げてくれていたらしく、
もたいさん経由での物資の宅急便も届いていました。

こうして一人一人の方の思いが、やがてトラック満載になり、
文字通り、多くの方々の今日を生きる糧となる。。。

ありがとう。

この言葉にまで本当に感謝する。



さて、いよいよ平木邸へ・・・

の前に・・・

実はこの日も朝から大きな余震があり電車が止まってしまった関係で、
田川・石原邸の集合に来れなかった同行者が1名。
CARE-WAVE理事長鎌田さんの生徒、高井渚紗さん。

彼女を中野駅でピックアップして、いよいよ平木邸へ・・・
ようやく平木邸に到着し、事務局の千恵子さんから経費(皆様からの支援金)を預かり、
平木邸での物資の積み込みも完了し・・・


出発!


セレナと2tトラックは横浜市立錦台中学校へ向かっていた。
前回、大量の物資をご協力いただいた市ケ尾中学校の平川校長のお声掛けで、
今回も別の中学校が物資の支援をして下さったのでした。
全校生徒560名。

東京で道中の後方支援をしてくれる織里奈さん、
CAREーWAVEには第一回から協力してくれている内藤歩さんも
横浜が近いとのことで、積み込みの手伝いにかけつけてくれた。

3台は、東北自動車道、蓮田SAで落ち合うことになっていた。

バンは予定よりも1時間程早く到着していたので、早めの食事休憩。
程なく、セレナ・2tトラックも到着し、今回の気仙沼支援隊が集合した。


〖今回のCARE-WAVE支援隊メンバー〗

バン:成田浬(運転)・澁谷祐介・高井渚紗
2tトラック:松村曜生(運転)・沓沢周一郎
セレナ:宇田川伸一(運転)・村松直浩・二宮綾音・石原満里奈・田川光希・鎌田理事長

総勢11名・・・


あれ?


一人多い・・・?


なんと・・・錦台中学校に積み込みのお手伝いに来てくれていた内藤歩さんがいる!

『鎌田さんに連れて来られました・・・笑』

また鎌田さんがやってくれました。


理事長の思いつきと少々強引な判断には慣れてきましたが、
それも上手く行けばとても効果的なこともあり・・・
(そうでない事もあるが・・・汗)

ま、高速のSAで置いて行く訳にも行かず、来てしまったものは仕方がない。
(幸い、寝袋や食料等、一人位増えても構わない準備は・・・僕がしていた・・・(- -;)v

最後までとことん付き合ってもらおう。
と言う事でセレナに同乗してもらい、総勢12名。


蓮田SAを出発したのでした。

次に落ち合うのは、今夜の仮眠場所である宮城県の長者原SA。
それまでは各々で休憩、給油、食事を取ることにした。



予定よりかなり早く、我々バンは22時には無事に長者原SAに到着した。

残りの2台もだが、

実は今回の支援隊には名古屋からも賛同者がおられ、
長者原SAで落ち合うことになっていた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2tコンテナ車・ワゴン車・2tロング車の3台で向かっていたのは、
RUN FOR PEACEの秋田稲美さん・伊藤幸二さん・斎藤篤さん・池崎さん・羽原さん・後藤さん
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

CAREの2台も無事に到着し、夕食を済ませ、名古屋チームを待っていた。
東京で後方支援してくれている織里奈さんからも、順調に向かっている旨の
報告を受けていた。のだが・・・

織里奈さんから落ち着いた声で電話がきた。

『緊急のバッドニュースです。名古屋チームの2tトラックが動かなくなり、
現在、蔵王PAにて停車中。現地で連絡取り合って下さい。』

鎌田さんが先方と連絡を取り、僕は織里奈さんと連絡を取りながら、
レッカー、レンタカー、こちらのトラックでピストン運搬・・・
等々、対応策を練ってはみたものの、時間は深夜の零時を回っている。

そうでなくても全員、長距離移動で疲労困憊。

今夜の所はまず、それぞれ仮眠を取り、
予定通り明日の朝6時30分に、長者原SAにて集合。

蔵王PAに置き去りにされた2tトラックに関しては、明日考えよう。

と言う事になった。


何事も、始めてみると何かが起きる。
順風満帆なんて、そうそうは無い。

それでも、必ず上手くいく。

そういう思いだけはあった。


頭の中には色々なことが駆け巡ったが、
いつの間にか・・・
バンの助手席で寝袋の中・・・

眠りについていた。



kairindian
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by indian_joe714 | 2011-04-21 15:44 | 復興支援 | Trackback | Comments(0)

再び・・・気仙沼支援物資搬送・復興作業を終えて

3月24日〜26日の支援物資搬送に引き続き、
4月12日〜15日まで、再び宮城県の気仙沼へ行ってきました。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

あの日から・・・

ちょうど一ヶ月が経ちました。


『地球が揺れたほんの数分間。

その復興は数十年にも及ぶかもしれない。。。

そして受けた心の傷は

たとえ癒えたとしても消える事は無い。。。』


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【率直な印象】

震災から2週間後だった前回は、自身にとっても初めての経験でした。
まだ寒く、夜には零下の冷え込み。頻発する余震。
気仙沼の町にはガソリン待ちの渋滞が長蛇の列を成しており、
燃料不足から走行中の車はほとんど見られず、
唯一開いていたスーパーにも長蛇の列。

まだ・・・『生活』という言葉すら存在しない・・・

それよりも・・・『生きる』『命をつなぐ』という印象が強かった。



電力の復旧もされていず、信号機も消えたまま。

辛うじて自衛隊の開いてくれた道はあるが、道路脇は震災直後のまま・・・

潰れた車、ひっくり返った車、重なった車、泥だらけの店舗、ガラスの無い店舗、
山積みの泥、瓦礫・・・さらに進むとそこは・・・




全てが潰れ、流され、グシャグシャになった広大な大地・・・


「なんにもない。。。」












宙の一点を見つめたままの人・・・

『ゼロ』で歩いてる人・・・

希望の無い、絶望の淵を彷徨っている人・・・











大地震・巨大津波・余震・原発・・・

一言で言い表す事など到底不可能だが・・・


《一瞬にして全てを飲み込んでしまう現実を体験してしまったショック。》
《まだ何か起きそうな不安感。》


『この現実を、信じられない。・・・思いで、でも現実で・・・
受け入れざるを得なくて・・・悲しくて、不安で・・・信じられなくて・・・』


そんな風景ばかりが目について、

印象は・・・本当にきつかった。


このまま放ってはおけない!
とにかく、縁あって生き残った人には生きて欲しい!


まず生きて・・・






希望が沸いたら・・・


そこに向かって、立ち上がり・・・一歩を踏み出して欲しい。



これが2週間前の気仙沼での印象でした。






2週間経って・・・


今回の気仙沼に着いて先ず感じたのは、走行中の地元の車が増えた事。
そしてガソリンスタンドでの渋滞が無くなっていた事。

開いているスーパーは変わらず一軒のみでしたが、
そのスーパーへの買い物に車で来れている様子。また、買い物の列が無かった事。

つまり、
「買わなければならないものが最低限でも揃ってきているのでは・・・?」


少し希望を感じられた光景でした。

それに、前回は点いていなかった信号も点いていました。
(未だ電気の復旧がされていず、信号機が点いていない所も沢山ありますが)

国道沿いではほんの数店舗ではありましたが、営業を再開しているお店もありました。

再開に向けて準備しているであろう光景も見えました。


『やった!この調子で頑張って!』


ほんの2週間でも、これだけ変われる。

外からやってきている自身だから感じる事なのかもしれないけれど・・・

まだまだ全然ではあるけれど・・・確実に、着実に、復興へ向かっている!



マクロ的にはそんな印象を受けた、今回の気仙沼でした。


ミクロ的には・・・もちろん、まだまだ・・・まだまだですが。。。




今回の気仙沼行きから帰京して、率直な印象でした。

詳細は追ってアップいたします。



kairindian
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by indian_joe714 | 2011-04-18 11:39 | 復興支援 | Trackback | Comments(0)

届けてきます。vol.2

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明日、二回目の


【支援物資搬送 for 気仙沼】


に行ってきます。


今回も、自宅避難されているが、物資の届いていない方々
に向けての搬送です。

前回の、横浜市立市が尾中学校、と2校の小学校に引き続き、
横浜市立錦台中学校の協力もあり、全校生徒560名からの
物資提供も搬送します。

米・調味料・レトルト・缶詰に物資を絞り、
なるべく多くの方に行き渡る様、
気仙沼市内の4地区で、青空提供にする予定です。


昨日の福島県を震源地にした余震も頻発しており、

道路状況、燃料、もまだまだ安定していません。


本当に正しい行動なのか…

他に方法はないのか…


模索しながらではありますが、何はともあれ、

まずは事故に気をつけて、

一人でも多くの方に物資が届けられる様、

行ってきます。



この行動が、被災されている方々の力になり、

復興への活力に繋がっていきます様に…


また、報告いたします。


kairindian
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by indian_joe714 | 2011-04-12 02:04 | 復興支援 | Trackback | Comments(0)

『昨年の春』様

『昨年の春』様



拝啓



僕の家の前も、例年通り満開の桜並木になっています。


桜…大好きっす!



(^0^)v



しかし…

しばらくは、、、もしかしたら僕が人間として生きている間は…


もう、あなたには会うことが出来ないかもしれません。


ご存知とは思いますが、今年…



我々人類の科学が発明し、
使用してきた原子力発電所が爆発してしまいました。


【放射性物質】というものが…(それはセシウムだったりヨウ素だったりプルトニウムだったりするらしいのですが)、

大量に、空気中と地中と海中に撒き散らかってしまいました。


テレビに出てくる人達は…


『直ちに人体に影響しない微量』

と言っていますが、誰も信用していないと思います。


『いつかは人体に影響があるって事…』


と、信じたくはないけど…




正確な情報が必要だから、不正確な情報に惑わされない様に!

と言っている人もいますが、


原子力発電所が爆発した人体実験なんてした事ないと思います。


だから、本当に正確な情報なんて無いと思ってしまいます。




今日は、小雨がパラついていて、満開の桜に降り懸かっていました。


シトシト降る雨にも、微量とは言え【放射性物質】というものが混じっているのかと思うと…



桜の花びら泣いている様で…




昨年の春!
満開の桜は格別でした。

写真もいっぱい撮りました。



桜には…

その「散り際」「はかなさ」にまで美学があり、

日本人のアイデンティティーを形成している重要な要素のひとつだと思います。


その美学までもが…

科学の力で壊されて行くようで、

改めて今回の震災の及ぼす影響の大きさに、

ある種の絶望感さえ抱いてしまいます。



今日、こんなにも悲しい桜は初めて見ました。



これ以上の悲しい桜は金輪際見たくないです。



自身を含めた人類への、やり場のない怒り…



これが、今年の僕の春です。



これから先…


梅雨の季節…
夏の夕立…
秋の長雨…
冬の雪景色…


どれも【放射性物質】とワンセットになってしまいました。



偉い人達が言う、

『直ちに人体に影響のない微量』
の放射性物質は…



『季節感を感じる情緒』や『散り行く美学』を奪ってしまいました。


昨年までの日本の春にありました『情緒』や『美学』は、もはや無くなりました。



日本人は、いつも…


放射性物質と共に生きる事になってしまいました。


日本人の歴史までも破壊してしまいました。



それより、日本人や人類だけでなく…

想像しきれないですが…


地中や海中、空気中のあらゆる生命体を、巻き込んでしまいました。


彼等は文句を言わないのです。


黙って受け入れていきます。


そして、あるモノは形が変わり…

またあるモノは死んでいきます。



彼等まで巻き込んでしまった人類の科学って、


そんなに大事なのでしょうか?

そんなに偉いのでしょうか?



僕には、

毎年、春になると綺麗な満開で咲いてくれる桜や…

美味しい空気や、清んだ水、


生き生きと生きている木々。

生き生きと生きている魚。

生き生きと生きている地球。



その方が、何百倍も何千倍も何万倍も大事だし、偉いと思います。




もう、貴方には会うことはないでしょう。

これから先、何がどうなって行くのかわかりませんが、


またいつか、貴方の様に、温かく優しい『春』と出会える日を迎えられるよう


頑張ってみます!


そして、心より祈ります。




kairindian
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by indian_joe714 | 2011-04-10 01:04 | 日記 | Trackback | Comments(0)

気仙沼から……


気仙沼出身…
CAREWAVEでも共演した。

大学で東京に出てきて1年目、
今はバンドとROCKに燃えている。


志田淳。

魅力的な青年!



先日、震災後初めて…

気仙沼に戻ってきた。


津波に襲われた実家に行ってきた。




俺に…

淳からメールがきた。。。



以下…

やりとり



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2011/4/2
気仙沼の淳より


実家行きました!
周りが何もないです。
家の中にこんないいものが!


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--------------------

2011/4/2
東京の俺、返信


おいおいおいー

マジかぁ。。。



震災前の何かが見つかり…

思い出と共に蘇るモノは…

残された者が噛み締めて生きる為の宝物だな。


淳の送ってくれた写メ。

俺の宝物になったよ!

ありがとう。

-Thank You!!!-

∈kairi☆narita∋
〓ホ・オポノポノ〓


--------------------

2011/4/4
帰京した淳より


浬さん
今朝気仙沼から帰ってきました。

正直、復興には一体何年かかるのか…
不安になりました。

実家の周辺はまだ自衛隊も入れてなく、道すらありませんでした。
あったはずの建物もなくなり、方向感覚や距離感もいまいち掴めない。
知らない街でした…。
実家周辺の瓦礫も酷く、その下にはきっと、まだ見つかっていらっしゃらない方々めたくさんいるのだと思います。

何にせよ、今の気仙沼をこの目で見れたことは、僕にとって凄くプラスになった気がしてます。

何年かかるか分かりませんが、地道に地道に、故郷を元に戻して行きたいと思いました。

浬さんのサインが実家から出てきたことも、凄く意味があった気がします!


--------------------

2011/4/4
俺、返信


淳。

お帰り。


どんなに辛く悲しい事も
どんなに楽しく嬉しい事も

選ばれた事には意味があり
乗り越えられる人が選ばれる

今回の大事も…

大きな大きな宇宙の流れの中で

日本が、東日本が、東北が選ばれた。


多くの人が色々な事に気付き始めてる。

その気付きは、
未来の日本に、地球に、

大きな希望の光となっている。


大丈夫。


ゆっくり時間をかけてでも、
地球のモデルになるような、
新たな復興を成し遂げよう!


故郷、気仙沼の思い出のある淳が、今回、五感で感じ記憶した事は、復興後の気仙沼の未来の種になる。

大切に育てて下さい。



志田家に残って、発見された色紙…

俺にとっても強いメッセージであり、勇気を後押ししてくれる宝物だよ。


見つけてくれてありがとな。



-Thank You!!!-

∈kairi☆narita∋
〓ホ・オポノポノ〓

--------------------

以上。

kairindian
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by indian_joe714 | 2011-04-05 13:36 | 大切な人達… | Trackback | Comments(0)

日本に望む。

福島原発爆発は起きてしまった過去であり、

放射能は拡散し続けている進行形であり、

その完全なる停止、防止方法は世界に無いのが現状。



そして事故後5年、10年経ったチェルノブイリでは・・・

-----------------------------------------------------
[引用ブログ:黄金の金玉を知らないか?]
http://goldentamatama.blog84.fc2.com/
(上記URLを、コピーペーストしてご覧下さい。)

過去に起きた原子力発電所爆発事故の事例として、
参考までにご覧になるのは賢明と思う。

『チェルノブイリ』と『FUKUSHIMA』とでは、
事故後の対応に大きな違いがあるので、
一概に比較出来ないのは、各人で認識されて下さい。

-----------------------------------------------------

東京電力・保安院・政府の繰り返す、

『直ちに人体に影響を与える値ではない。』

という、
原子力発電所を開発・建設・管理・運営・認可してきた組織としては、
国民に対してあまりに曖昧と思われる発言。


『5年後からの健康被害は高い確率で起こり得ると予想される。』


という発表の方が、適切であり、
被災地付近の居住者に対しても、
「最悪の事態を想定しての発表」と、
信頼が得られるのではないだろうか?

まだまだ電力には未知の力がり、
これからも99%の国民が電力を
使用して生活を送るのが現実だろう。


世界で起きた過去の事例として、

これから先の『未来の被害』を少しでも軽減する為、

可能な限りの対処(避難区域の拡大)と、
適切な情報開示、予想される被害(最大値・最小値)位は、
国民に対して告知するべきではないだろうか?


既に予測されている最悪の事態を想定し、
仮に発表した際に懸念される、
国民のパニックを恐れての隠蔽だとしたら、

国民は信用されていないという事になる。

信用されていないモノは・・・

その相手を信用出来なくなってしまう。


それこそが避けなければならない事態であり、
日本の未来に関わるのではないか?


『国家権力』は国民に向かうのではなく、

『外国の圧力』に対して向かうべき。


『日本』という、歴史ある、魅力溢れる国家には、

全ての局面に於いて毅然とした態度でいてもらいたい。

切願。


kaiirndian
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by indian_joe714 | 2011-04-02 12:28 | 日本人・地球人・宇宙人 | Trackback | Comments(0)

ご報告ー気仙沼支援物資搬送を終えてー

大変遅くなってしまいましたが、
以下に今回の気仙沼支援物資搬送に関しての報告をアップ致します。

文量が多くなってしまいましたので、何日にも渡って書いておりました。
言葉使いがおかしく、文脈が重複している様な箇所もあり、
読み憎いかもしれませんが、ご容赦下さい。

また、後から一日ごとにアップするのもどうかと思いましたので、
まとめてのアップに致しました。

長くてお疲れになるかもしれません。





被災地の皆様、被災地以外でも様々な影響を受けている皆様、
1日も早く元の生活に向けて復旧しますようお祈り申し上げます。

数多の犠牲者の方々、心よりご冥福をお祈り申し上げます。


また、この度の急遽決まりました救援活動にご賛同いただき、
多くの支援物資、義援金のご協力をたまわりまして
誠にありがとうございました。


以下に、今後の追加支援・新たなボランティア活動を検討されている方々に、
少しでも活かせる情報になれば・・・と思い、
今回の行程をなるべく細かくご報告させていただきたいと思います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

3月18日(木)

このまま何もせずに指をくわえて、対岸の火事では済ませられない。
何か、何か出来る事を模索していました。

NPO法人CARE-WAVEは、ボランティアミュージカルを通して
世界の貧困・飢餓・戦争等により混迷を極めている現状を伝え、
地球人の一人として今出来る事を、
思いやり(care)の波(wave)を繋いで行く事を目的に発足しました。
縁あって僕は初演から参加し、今ではスタッフに名を連ねております。


世界ではなく、この日本で・・・


歴史に残る大災害が起きてしまいました。
これは避けられない現実です。

地球という星から、
日本という国の一部が選ばれてしまいました。

地震、津波・・・そして、いらなかった原発爆発。。。
天災だけならまだしも、天災に端を発した二次災害で、
今も多くの方々の救助、救済が遅れている。

気仙沼の市民ミュージカル団体『うを座』の子供達は
CARE-WAVE AIDに毎公演出演してくれています。

その気仙沼を包んでしまった地震の日の夜の大火災は・・・

皆さんの記憶にも衝撃と共に残っている事と思います。

僕の人生に於いても、忘れる事のない非情な光景として
脳裏に焼き付けられました。

俳優のする事は演技ですが、
演技には『真』『誠』が無ければならない。

そしてNPO法人CARE WAVEの一員としても、
歌って踊って演技して伝える。ことも大事な活動だけど、
事この状況に至っては、少なくとも今はそんな場合じゃない。
世界の惨状を伝える前に、日本の被災地、被災者に出来る事しましょう!

理事長と話しをして、この日、救援隊を送る事に決まりました。

関東以北の太平洋岸は同等に大きな被害を受け、
壊滅状態の町が幾つも生まれてしまいましたが、
先ずは縁のある気仙沼に行く事に決めました。

何が出来るか、何をしたら良いのか、何をしたら迷惑なのか、
何が必要なのか、何が喜ばれるのか・・・

この様な経験の無い僕には皆目見当もつかない、ただ、
『出来る事をする。迷惑をかけない。』
を胸に、救援隊の準備が・・・

この日から、始まりました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

3月19日(金)

CARE-WAVE関係者に、理事長からの一斉メールで
気仙沼救援隊の知らせを出しました。

続々と支援物資の提供メール、義援金の申し出、必要な物資の問い合わせ等を
いただきました。

『あぁ、皆この状況に出来る事をしたい。協力したい。って思ってるんだ。』

改めて「人」の優しさと人を思う気持ちの素晴らしさを感じました。

救援隊に参加し同行したいと手を挙げてくれる勇者がいて、
救援隊に託したいと多くの物資を届けてくれる人がいて、
その物資を集める場所に、部屋を提供してくれる人がいて、
物資を運ぶのに車を貸してくれる人がいて、
マイクロバスを出してくれる同行者がいて、
薬局でバイトしている人は薬局の方々の協力まで得て
薬品、オムツ、マスク等大量に用意してくれて、
舞台本番中の方は出演者に掛け合って物資を集めてくれて、
それぞれの物資を取りに行ってくれる人がいて、
所属する事務所で物資を用意してくれる人がいて、

多くの人が一つの思いで動くと、こんなに早く、
こんなに沢山の必要な物が集まる。

人のココロの温かさと、何とか役に立ちたい!助けたい!
という思いの結集はこんなにもエネルギーを生むのか!

と、感激しながら準備を始めました。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


3月20日(土)

中学校の同級生と、地元の浜田山で美味しい中華を食べていたら・・・

『あれっ?ドラえもんの絵をメチャメチャ上手く描く、まっちゃん?』

浜田山小学校の時の同級生と思しきおっちゃんが、はす向かいでご飯を食べていた。

『まっちゃん?』思わず声をかけると、『おーっ!カイリじゃん!』
『やっぱまっちゃんかー!久しぶりー!』

偶然の再会に食事の手も止まり、周囲の迷惑も顧みずしばしの立ち話。
気持ちは小学生。端から見れば中年のおっちゃん2人。

『カイリ最近何やってんの?』
『来週、気仙沼に物資届けてくる。』
『えっ!そうなんだ。これ少ないけど・・・』


といって5000円を差し出してきた。

『これくらいしか出来ないけど何かの役に立てて!』

聞けばまっちゃんもボランティア活動をしているらしい。
大金持ちでもないだろうに・・・

それでも、躊躇なく差し出されたそのまっちゃんの「思い」は、
素直に受け取るべきと感じた。

「お金」に込められた「思い」

久々の、偶然の再会で、友情とココロの温かさを感じた。

『必ず有効に使うよ。ちゃんと届けてくるから!』

そう約束して、有り難く「まっちゃんの思い」を預かった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

3月21日(月)

物資搬送の為の車を貸して下さる加藤事務所さんから、
お貸しいただく車両の車検証コピーがFAXされてきた!

高速道路で支援物資を搬送する為に欠かせないのが緊急車両通行証。
必要書類を揃えて武蔵野警察署へ向かった。

警察に行くのはどうも気が引ける。。。
理由は無いが、どうも進んで行きたくはない所だ。

しかし、今回の大震災は日本中の問題。
しかも地震、津波に加えて原発事故と震災が重なっている。
自衛隊を始め、警察、各自治体、各市町村までが
災害支援の為に多くの人力を注いでいる。

だからだろうか、警察の担当の方はとても親切で、
緊急に物資を届けてくれる事を喜んでくれているかの様でした。
『どうぞ、呉々も気をつけて行って来て下さい。よろしくお願いします。』
警察の方からこの様な言葉をかけられるなんて思ってもいなかったので、
何だか虚をつかれた。

仕事も職種も年齢も何も無い・・・
日本人が日本人を思う事に変わりはない。
警察の人が少し好きになりました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

3月22日(火)

この日は久々に仕事で銀座のスタジオ。
3、11の地震以降、車に乗るのを控えていましたが、
仕事の帰り、20時までに段ボール3箱の物資を
受け取りに行かなければならなかったので、
少ないガソリンを気にしながらも車で移動しました。

ラジオCMの録りだったので原稿量もTVより多く、
録りの後の「待ち」もいつもより長かったです。

それでもナレーターの方が僕を含めて3人いたので、
もっぱら震災の話しと原発の今後の心配の話しをしていました。
特に原発に関しては差し迫った恐怖もあるし、
TVに出てくる専門家と言われる方々はそれぞれに微妙に内容が違うし、
皆それぞれの持つ情報を交換し、それでも出来る事はして行こう!と、
ここでもこの国の未来を憂い、思いを形にしようとしている人がいました。


時計は18時を過ぎていました。


こういう時に限って・・・僕のナレーション部分だけ一カ所直しが入ってしまう。
ブースに入り、『上手くいってくれっ!』と願いながら数回・・・読んだ。


『OK!いただきました。お疲れ様でした!』

時間は18時45分。
物資を取りに行く三軒茶屋までは道が空いていれば間に合うけど、
渋滞していたらギリギリな時間。
急いで出て行こうとすると、残ってくれていたナレーターの村田博美さんが、

『これ、少ないですけど何かのお役に立てて下さい。』

といって1万円を差し出して下さった。

『私は被災地まで行けないので、せめてこれだけでも。』

その気持ちが、思いが嬉しかった。まっちゃんの時と同じ。

みんな何かしたいんだ。したいけど仕方がわからない。
ならば目の前にいるあなたに託します。
と言われている様に感じました。

『責任もってしっかり届けます。ありがとうございます。』

その気持ちを預かり、車に乗り込みました。

何故か、何度も目頭が熱くなりました。


20時ギリギリ手前、薬局到着。

carewave出演者の妹尾理映子さんがアルバイトしている縁で、
薬局のパートさん達も協力して大量の医薬品、介護用品、赤ちゃん用品等を、
お金を出し合って購入し用意してくれた大きな段ボール3箱。
僕もその薬局で大人用オムツ36枚。買いました。
(被災地にはトイレも無い可能性があるので、自分達の分として)

積み込んだ物資は、集積所に自宅を提供してくれた
同じくcarewave出演者の平木寛子さんの自宅に搬送。

「引っ越して広いから大丈夫っす!」と言ってくれたのです。

確かに広い・・・

まだ、大丈夫そうでした。。。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

3月23日(水)

この日も昼からスタジオ入りでした。

深夜に帰宅しても、情報収集、諸連絡がたくさんあり、
すぐには眠れない数日。
『仕事に支障を出しては元も子もない!』
と自覚して望んだ今回の救援活動ではあり、
精神は気合いで持って行けても、肉体は嘘をつけない。

日本企業の高度な技術で作られたマイクは、
しゃべる側の微妙な声帯の振れと息の流れまでも繊細に受け取る。
そして「声」も繊細であり、ほんの少しの環境の変化・体調の変化にも左右される。

それでも『生』で生きる人間の『生』の声だ!
これが今日現在の成田浬の生きた声だ!

と思って精一杯努めて来ました。


仕事も無い。
仕事場も流された。
家も流された。
住む所も無い。
着替えも、
食事も無い。
何より、
さっきまで一緒だった・・・

家族がいない。


今、この瞬間にも関東以北の太平洋岸には多くの人が肩を寄り添って、
寒さに震え、空腹に耐え、悲しみに埋没しそうになり、それでも・・・

生きている。

そう思うと、東京での怖いモノなんてなんも無くなるんですね。


そして、

この現場でも、同じ事務所で同い年のナレーターと久々に再会しました。
風間勇刀さん。
彼はプライベートでレーサーをやっている。

明日、気仙沼に向かう事と足りないものの話しをしていた。

実は今回の物資搬送で大きな問題になっている一つは、ガソリン不足。
ボランティアで東京から被災地入りする車両は、食事やトイレ、宿泊場所と同じく
現地のガソリンスタンドを利用する訳には絶対いかない。
つまり、東京を出発する時点で、自分達の車両の為の最大限のガソリンを
積んで行かなければならないのです。
東京でもスタンドが大渋滞で、ガソリンが不足している状態でした。

ガソリンに関しては、いつも僕が利用している自宅隣のスタンドが
『携行缶さえ用意してもらえれば、優先で満タンにしますよ!』
と言ってくれていた。感謝である。
ただ・・・携行缶がどこにも無い。
都内を探しても売り切れで無くなっていました。

「みんなガソリンを余分に取っておきたいんだな」

確かに、近所の土建屋さんもガソリン不足で現場に行けない。
と嘆いておられた。

carewaveでは、気仙沼とも縁深いが、理事長の出身地でもある徳島県とも
お付き合いさせていただいている。携行缶の事をお伝えした所、早速三人の方が購入し、
70L分もの携行缶を、僕の自宅に送ってくれていた。
まさしく日本中が協力してくれている。感謝に堪えない。


それでも・・・まだ足りない。


気仙沼までは600km.
ガソリンは1Lあたり7km.
満タンで60L.
片道行くだけでも満タンに補充が必要なのです。
緊急車両登録が済んでいたので、高速での補充は出来るだろう。
と思ってはいましたが、確証はどこにも無い状況でした。

そんな時、前述の風間さんが・・

『ガソリンの携行缶もあるし、石油ストーブもあるから!今夜渡すよ!』

聞けば自宅は僕の家から直線1キロ程。
深夜になってしまったが快く携行缶を貸してくれ、
石油ストーブは物資として提供してくれた。
「寒さに震える皆がこれで少しでも温まれる。」

『こんくらいしか協力出来ないけど、役に立って良かった!』

本当に嬉しい言葉でした。
みんな素晴らしいと思いました。

頑張ろうと思いました。

ありがとうございます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

3月24日(木)

前夜にお借りしたバンで、午前中は物資を受け取りに出発。
carewaveに出演している松村達冬さんの事務所「アイかんぱにー」さん。
伺うと新井さんが待ってくれていた。

「東京都に提供しようと思っていましたが手続きが色々あって・・・
そんな時、carewaveさんの事を聞いたのでちょうど良かったです。」

男性・女性の下着を段ボール3箱分。

本当に、皆さんそれぞれに考えて提供下さる物資は
どれもこれも必要なものばかり。

早速積み込んで集積所(平木さん宅)に向かった。

平木さんの部屋は、この2日間で物資は何倍にも増えていました。

そこへcarewave事務局の柳沢千恵子さんが大量の生鮮食料品を
ステーションワゴンの後ろいっぱいに積んで登場。

果たしてバンに積みきれるのか・・・?

最後に物資を持参しに来てくれた竹内さやかさん
千恵子さん、寛子さん、
気仙沼に同行する楢原潤也君、中村元紀君と一緒に
積み込み作業は予定通りに、バンの屋根の上まで利用して、
ブルーシートならぬ、ピンクシートで覆うところまで、
無事に完了。出発。

途中、上馬交差点で同乗するcarewaveの伊藤由佳さんを
ピックアップし横浜へ向かいました。

横浜では、市が尾中学校の校長平川理恵さんのお声掛けで、
市が尾中学校・東市が尾小学校・荏田西小学校総勢2000名の生徒さんからの
支援物資の提供がありました。
これらは到底バンに乗り切るはずも無く、
都築学園グループ理事の都築明寿香さんから、
横浜薬科大学のマイクロバス・大型バスの提供をいただき
なんとか膨大な量の物資を積み込む事が出来ました。
carewaveの出演者、前田織里奈さんも自家用車でかけつけてくれて、
平木さんの部屋に納まりきらなかった分も積み込めました!

そしていよいよ、気仙沼へ向けて出発しました。

実は我々バンは・・・

平木さんの部屋の玄関に・・・
積み忘れの段ボール3箱があるのを平木さんからの連絡で発覚し、
急遽東京へとんぼ返り。

2台のバスとは東北自動車道の蓮田SAで待ち合わせて合流しました。
早めの食事休憩を取り、那須高原SAで給油。

福島県、宮城県の300キロは休憩無しで走りました。

バスの2台は宮城県の長者原SAで朝まで休息。

我々バンは、途中、仙台で高速を降り、carewaveスタッフで
仙台に避難されておられる志田さんのマンションへ立ち寄りました。

志田さんのお宅は気仙沼で津波に襲われました。
地震の際、お母様は仙台にいました。
息子さんは大学で神奈川に、高校生の娘さんは高台の学校に避難していたそうです。
お父様は病院の院長さんですが、病院で地震、津波、火災と・・・
続け様に被害に遭われました。

地震の日の夜・・・

TV で気仙沼の大火災を見た時には・・・

『もう、誰がどうなってるかわからない。。。最悪だ。。。』

としか思えませんでした。
twitterで息子さんから
『お父様の所在がわからない、恐らく病院にいるが、あの火災で安否がわからない。』

との事だったので、何度も何度も、繰り返し繰り返しツイートしました。

『志田整形外科に数人の人が取り残されています!!!』

そのかい合ってかどうかは定かではないですが、
2日後にTVでヘリコプターが救助している志田整形外科が映った際には、
心の底から「ホッ」としました。
それでもお父様が救助されている映像を見た訳ではありませんでした。
お父様の安否はその後2日経ってわかりました。
救助されてからすぐ、避難されている膨大な方々を
診察、治療なさっていて、携帯も繋がらず、
家族に連絡出来なかったそうです。


志田さんの避難されている仙台には、
夜中の12時という、後で考えれば大変失礼な時間に行ってしまいました。
帰路の途中で立ち寄る予定だったのですが、少しでも早い方が
良いのでは・・・と失礼を顧みず伺ってしまい、
飼い犬のカノンが、震災の恐怖からなのか度々吠え、
隣で就寝中のおじいさまの睡眠を妨げてしまいました。

夜中に行ってしまった自分を反省しました。

それでも、ご無事なお母様と娘さんのお顔が見れて、
本当に良かったです。


その後、長者原SAへ向かいましたがSAのガソリンが切れている。
『その先の前沢SAならまだある様です。』と、東京で高速状況を
調べてくれていた前田織里奈さんから情報をいただき、
前沢SAへ向かいました。
長者原SAから前沢SAまでは60キロ程。
たいした距離ではないのですが、
ここまで500キロ、7時間運転して来た上でしたので
疲労と睡魔との葛藤がありました。
それでも被災された方々の事を思うと、屁でもありませんでした。
無事に前沢SAに到着し、燃料を満タンにし、
数十台の消防車、救急車、自衛隊車に囲まれ、
3時間程・・・車中で眠る事が出来ました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

3月25日(金)

朝の8時半に一関駅で秋田から入って来たcarewaveの理事長、鎌田さんと合流。
一時間程で気仙沼の小野寺さん宅に到着しました。
途中、車中からの情景では、地震の影響は殆ど感じられませんでした。

10時には、避難されている「うを座」の面々と親御さんが続々と集まり、
一緒に舞台に立った子供達の顔を見て

『良かった。。。無事だった。。。』

安堵しました。

それでも、この子達の中には親御さんや親類の安否が判らず、
家が流された子もいる。

命があった安堵感と、この先の難儀を考えると、
本当に震災の及ぼした影響は大きすぎる。

気仙沼で気仙沼の人と会い、あらためて震災の恐怖を感じました。

挨拶を終え、皆で協力し、全ての物資を荷下ろししました。


鎌田さんの仕切りで、
・まずは集まって下さった方々に必要量

その後、
・子供達の施設
・老人ホーム3カ所
・物資分配拠点として、うを座の方の2件のお宅

計6カ所に物資を分ける為、全員で全ての段ボールを開け、
中身を確認し、分配作業が始りました。

分配しながら、まとまった物資は所定施設に配送。

午後早々には日も陰り、東北の寒さが感じられる様になりました。

本当に寒かった。

16時には全ての分配・配送も終わり、本格的な寒さの前に
終われた事にホッとしました。

皆さん大変喜んで下さり、無事に届ける事が出来、本当に良かった!
と感じました。

『温かいもの食べてな!』

物資。
この苦境を頑張って乗り越える気持ち。
笑顔。
横浜の子供達から気仙沼の子供達へのメッセージ。

色々なモノを運び、届けられた事の安堵感。

まだまだ被災地の皆さんには、先の見えない・・・
厳しすぎる現実が山の様に広がっています。

恐らく、何年もかかるだろう。
日本を代表する漁師町、気仙沼。

重油タンクの倒壊、
大量の油の海への流出、
原発の放射性物質の海への影響、

先は本当に見えない。

それでもまずは・・・
温かいもの食べて、ゆっくり寝て、
今日を生きて、明日を生きて、
町の仲間と語り、
活力が沸いてくるのを待って、
希望を持って、
立ち上がって欲しい。

その為に必要なものは、出来る限り支援する。

支える。援助する。応援する。


東京に住む我々に出来る事。


今回1度の事では無く、継続した支援、
その時々の必要に応じた支援が不可欠。


とにもかくにも・・・
皆さんの気持ちと物資を届けられた事は『良かった。』
と、心から思いました。



その後、案内していただき・・・
皆さんがニュースで観ている・・・津波被災地に行きました。

津波の被害のあったところと、そうでない所は別世界でした。

道のそっちとこっちで、別世界でした。

津波の押し寄せたところは、本当に・・・



地獄絵図でした。

何もかもがメチャクチャでした。

コンクリートははがれ、
電車の線路はグチャグチャに曲がり、
つぶれた車、曲がって倒れている電柱・・・

言葉では言い表せません。
TVでも何も伝わっていない。
と思いました。


TV や新聞では・・・

『瓦礫の撤去がされておりません。』
『あたり一面、瓦礫の山です。』


と言っているし、実際、他人からすれば瓦礫の山なのかもしれない。

しかし、その瓦礫を一つ一つ見ると、

人形や洋服、家具、アイフォン、ノート・・・

挙げればキリが無いくらいの生活品。

柱、壊れた椅子、テーブル・・・

家族団らんの家財であり、家を支えていた柱。

そこに住んでいた方々にとって、

瓦礫の山の全てが、

かけがえの無い、思い出の品であり、大切な宝物なのでした。



行って・・・

見て・・・

初めて・・・

そう感じました。



そして、恐怖に襲われました。


鼻を突く・・・重油や腐った魚の臭い。
2週間経っても残っている焼け跡の臭い。

扉が開いて倒れている冷蔵庫の中には、
家人が食べるはずの好みの食材が入ったままでした。。。

あらゆる日常品と、海にあるはずの物とが渾然一体と無数に広がり、

地上を被い尽くしていた。


長い年月の間の・・・


ほんの一瞬の猛威。


自然の脅威。



ココロの目に、焼き付きました。



合掌。





続く。。。

kairindian
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by indian_joe714 | 2011-04-01 03:47 | 復興支援 | Trackback | Comments(0)

ご報告ー気仙沼支援物資搬送を終えてー2

前日からの続き・・・



3月26日(土)

寝袋にくるまり車中泊だったが、
前日の寝不足もあってかよく眠れた。

朝7時。

気仙沼の小野寺さん宅から出発し、東京への帰路に。

途中、気仙沼のガソリンスタンド待ちの渋滞を何度も見かけたが、
先日の東京での渋滞の比では無かった。

車が無くては成り立たない、移動手段の無い地方の町。

しかも物流がストップしている。

内陸の町まで行けば、なんとか買える物があったとしても、
そこまで行く手段すら無くなっている。

東京のニュースではライフラインという単語に集約されるが、
その言葉の現実は、文字通り『死』に直結するのだ。

実際、この日、翌日のスタンド営業でガソリンを入れる為に
深夜から列に並んでいた80代のおじいさんが、
ガソリンを使わない為にエンジンを切り、
しかし外は零下の冷え込みの為、
車内に練炭を置いて暖をとっていたら、
そのまま一酸化中毒で・・・
お亡くなりになってしまったらしい。


『次に来る時は車いっぱいに燃料を積んできたい。』

と思ったが、次回来る時までには、復旧している事を願った。



一路、東京へ向かった。

東北道は・・・ひどい強風だった。

ハンドルが何度も強風に取られそうになった。
前を走る車のお尻がグワングワン揺れている。

宮城県、福島県、栃木県、強風は収まる気配すらなかった。

途中、栃木県の那須高原SAで休憩をとった。

天気は晴れ。

しかし、吹雪の様に雪が舞っていた。



『放射能の雪か・・・?』



こんな事を考えなければならない悲しい時代を・・・

俺、生きてるんだな。


『直ちに人体に影響は出ない』とかどうでもいい。


人為的に作り上げ、使用している燃料で、

『死』を感じながら雪を見る。。。



この理不尽な悲しみが耐えられない。



日本人の美学の一つ。


散り行くものの儚さ。。。


桜吹雪。
雪。


そこに放射能吹雪も足さなきゃならなくなってしまった。



15時。東京着。


解散。


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僕は役者を生業としている。

不謹慎に思われるかもしれませんが、
この度の東日本大震災は、
世界の歴史上に於いても未曾有の大震災です。

それが我が日本で起きてしまいました。
地球に、日本が選ばれてしまいました。
悲しい現実ですが、事実です。

嘆いてばかりはいられません。
未来へ向かわなければなりません。


虚構を通して、人のココロに真実を届ける。
他人のココロに感じ入り、動かす。


この多難な生業を選択した役者は
真実を知る事は不可欠と思います。

興味本位や物見遊山では言語道断だが、

『百聞は一見にしかず』だった。

それは本当に辛い事だが、誰かがしなければならない。

繰り返してはならないから。

そして希望と未来を見いださなくてはなりません。

「使命感」もあるのかもしれません。


[支援、救援に尽力する]

[現実を直視し、次に伝える]


この2点を続けていきたいが・・・

ボランティア活動は非情に難しいと感じました。
しかし、僕は、ボランティア活動をしたいのでは無い。


究極の震災の中で生き延び、命を繋げた人に、
最後まで生き抜いて欲しい。


せっかく生き延びたのに・・・


原発の事故処理に追われ救済活動に専念出来ずにいる
自衛隊や自治体、消防、救急、警察、海外からのレスキュー隊・・・

その為に飢えと寒さで二次的に命を落として行ってしまう方々がいる事を
少しでも食い止めたい。

国家や政治が出来ない状況なら、やるしかない。

ボランティアにはボランティアのルールがあるので、
被災地の方々にご負担、ご迷惑をかける事無く、
お気使いをされる様な事も無く、

不慣れではあるけど学びながら、
継続的に続けていきたいと思っている。


被災地の方々には、

温かいもの食べて、ゆっくり寝て、
今日を生きて、明日を生きて、
町の仲間と語り、
活力が沸いてくるのを待って、
希望を持って、
悲しみを乗り越えて、
立ち上がって欲しい。

焦る事はなくとも少しずつでも復興に向かっていって欲しい!


そしていつか・・・
僕がおじいさんになる前に、
気仙沼の美味しい魚料理が食べたい。



kairindian
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by indian_joe714 | 2011-04-01 03:45 | 復興支援 | Trackback | Comments(0)