Aho Mitakue Oyashin !! Ho oponopono !! Native Yamato -kairindian's blog!!- このブログは成田浬(カイリ)本人が書いています。勝手ながら記事へのコメントは承認制にしております。


by kairindian "indian_joe714"

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kairindian's・・・

2011、3、11・・・
東日本大震災により被災されました皆様に心よりお見舞い申し上げます。

また、この震災で失われてしまいました多くの方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。



この未曾有の大震災、並びに終息の見えない福島第一原発事故による多大な被災は、現在の日本・人類・世界への、地球や太陽系からの強烈なメッセージと受け止めております。


先ず、第一に放射性物質拡散に依る二次被害の収束、そして一日も早い東北・東日本の復興を願い、そして地球や太陽系の望む、未来の日本・人類・世界の「真の幸福」のために、役者・ナレーター・講師として、何より人として、微力ながら出来る事をして参る所存です。


2011、5、31
kairindian


『人の都合より自然の摂理を尊重し、地球を母、動物・植物を兄姉と敬い、大いなる神秘との出会いの為に。』


大いなる必然の神秘と出会う旅。。。


みんなが幸福になること。

大切なのは、みんなが幸福になること!

ーkairindianー

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三たび・・・【気仙沼復興支援】を終えてー5月4・5・6日ー


ブログ更新に時間が空いてしまい申し訳ありませんでした。

やっと報告ブログを書けましたので、アップいたしました!



5月4日(水)

午前6時半に起床すると、台所では松原さんが全員の朝食の準備をしていた。

水をイッキに一杯飲み干し、台所へ・・・お手伝い。
久々に包丁を握り、納豆をとき・・・

やっぱり、ご飯と納豆とみそ汁は・・・最高だ。



午前9時

準備をし、それぞれの持ち場へ向けて出発。

僕は『亀山肉店』さんの店舗兼住居のヘドロ掻き出し作業だった。
昨日のフェリー乗り場が眼前に見える港から、一本裏通りに入った道沿いに建っている。

一本裏通り・・・

津波にとっては一本裏も何も無い、どこもかしこも海水の通過点になっていた。


昨日、我々とは別の方々が、肉店特有の大きな機器を運び出してくれており、
残るは床に溜まったヘドロ・・・の状態だった。

僕と女子2人。
スコップとネコで作業を始める。

2人の女子は淡々と作業をするが、彼女等のキビキビした動きは早い。
そして、その若さのキビキビした姿勢は、見ている人を元気にする。

「若い」っていいなぁ・・・と思った。


この辺りはまだ水道が復旧していない。
道を隔て、山側へ徒歩50m程離れた場所のお宅が、辛うじて水が出る。

バケツで水を汲み、運び・・・

ヘドロを除去した床に水を流し、その汚泥をまた掻き出す。
単純な作業だが、それが苦労する。

その上、ここでは排水溝がヘドロで詰まっていて水が流れないので、
排水溝のヘドロ除去をしながらになる。

床の汚泥除去にはスコップよりも適した道具があるはずだった。
先がゴムになっていて、一気にかき寄せる事の出来る・・・あれ!(名前が解らない)

東京ではあると便利な作業道具もすぐ手に入るが、ここではどうなのか?
近所のお宅で作業していた別班に、もしあったら貸してもらえるか聞いてみる。

工具等を扱う大きな作業店は営業しているらしく、理事長の判断で買い出しに行く事に。

運良く3本購入出来、そのお陰で作業が飛躍的に進んだ。


午前中のうちに、床面はほぼ綺麗になっていた。しかし・・・


朝からずっとだが、とても臭い。

奥の一番暗い所に大きな扉があり、3㎝程隙間があったが、
臭いの発生元は、どうもそこらしかった。


開けてみると、そこは巨大な冷凍庫だった。

入り口付近まで山積みにされた肉。

震災からほぼ2ヶ月、電気も止まり、腐敗が進んでいた。



午後には店主さんが顔を出してくれる様だったので、
店主さんの意向を伺ってから、腐敗肉の運び出しを検討する事になった。



途中、従業員さんがゴミ袋とジュースの差し入れに来てくれた。

(この厳しい状況にあって、まだ僕らを気使ってくれる。)

気仙沼の方々の他人を思いやる心に・・・何度出会った事だろう。。。


心の中で涙があふれた。

その従業員の方と、数分、立ち話をした。

『ここもですが、まだ、海が見える所に来るのが怖いです・・・』

この言葉を聞いた時、彼の目の奥に、津波が見えた。

(本当の怖さ、どんなにか怖かったのか・・・)

それを思うと、口を出る言葉に窮してしまった。。。



昼食は、松原さんの握ってくれたオニルギン(おにぎり)。
海を・・・景色を見ながら・・・一人で食べた。


(この穏やかな海が。。。このキレイな風景が。。。
あの日、ほんの数分の地球の揺れが・・・こんなにも大きな、
こんなにも全てのものを飲み込み、奪い、悲しみを生んでしまった。。。
地球って・・・何なんだ。。。)



ボーッとしながら、食べた。




午後。

亀山肉店さんのご夫妻が来て下さった。

腐敗肉の処分を・・・決断し、お願いされた。


『わかりました。処分させていただきます。』



ご夫妻とも数分間の立ち話をした。

「今日は何時くらいまでの作業になる予定ですか?」

「3時か3時半には終わろうと思っていますが」

「そうですか・・・本来でしたら父が御挨拶するのですが、今日は人工透析をしていまして・・・」

「そんな、気になさらないで下さい。どうぞ静養なさって下さい。僕らは出来る作業をしたら帰りますから。」

「感謝しておりますが感謝の言葉では足りません。このご恩は一生忘れません。感謝してもしきれません。」と・・・


奥様は手を合わせ、涙を浮かべながら・・・そうおっしゃり、
旦那様は時折うなずきながら、ただ、じっと僕の目を見ておられた。


そして・・・



「8歳の息子が・・・未だ行方不明なんです」




「っ・・・・・・・・・」



僕には・・・適切に返せる言葉も、、なく、、、

ただ、うなずき・・・懸命に受け止めようと・・・

そして、涙をこらえ、、、

「聞く」・・・ことに集中するだけだった。。。




(僕にできる事って・・・)






別班から人出を呼び、8人で腐敗肉の運び出し作業に入る。

冷凍庫の扉を開けると・・・

信じられない臭いの大群が一気に押し寄せて来た。


濡れた段ボールは形を崩し、
中の肉が床に落ちバラバラになる。
バラバラになった瞬間から新たな臭いが生まれる。


牛・豚・鳥・鹿・ホルモン・・・


手のひらの部分がゴムの手袋になっていたので、わし掴みで、
次の人が口を大きく開いて用意しているゴミ袋に、次々に入れて行く。


息ができない。


しかし、これは休憩等していられない。一気にやるしか無い。

誰もが暗黙の了解をしていたはずだ。


汗で・・・2重にしていたマスクの地肌側のマスクが、鼻と口に吸着する。

息ができない。

一瞬、マスクを浮かす。

口で吸う。

口からも臭いが来る。むせる。。。


暗くて・・・

一体どれほどの広さがあり、どこまで続くのか・・・


最初は最前線にいた僕も、限界を感じた。

誰に何と言われようが・・・無理は無理!


『こうたーい!』


入り口付近を運び出した時点から、理事長が最前線に入った。

二番手には、実家がお肉屋さんの女子。


残り4人は次々に出される肉を袋に積め、口を結ぶ。

後の2人はそのゴミ袋を外の集積場所に運んで行く。


床に落ちたホルモンからは血が流れる。


僕は、腹の中から返ってくるモノがあり・・・

何度か外へ飛び出し、呼吸を取り戻しては中に戻り・・・

作業を続けた。


理事長は覚醒していた。

何かに取り憑かれた様に、脇目もふらず肉に突っ込んで行った。




45分。




終わってみれば4畳半程の冷凍庫だったろうか。
それでも、床から天井までびっしりに積み上げられた肉達は、
ゴミ袋100袋位にはなっていたのではないだろうか。。。


結局、理事長が最後まで最前線に入り、二番手はお肉屋さんの女子がやり遂げた。


後で聞いて引いたが・・・

理事長は鼻で呼吸をしていた様だ。

「臭いに慣れた。」と言っていた。




とにもかくにも・・・

一番の難題だった腐敗肉の運び出しを終える事ができた。





店主さんご夫妻の深い悲しみの代わりにはなれるはずも無い。

それでも、この腐敗肉を運び出した事が、何かのお役に立つのだったら・・・

やって良かった。そう思う。




再び、汚れた床を洗い、体中に付着した肉汁を洗い、亀山肉店さんの作業を終えた。


別班に移動し、ヘドロでやられている家具や食器の洗浄作業をした。



しばしの休憩中・・・


気仙沼うを座の副座長、阿部さんは、先程の腐敗肉運び出しも
一緒になって参加して下さっている。
その阿部さんが、気仙沼の祭りで吹くと言う笛を吹いて下さった。

海を見ながら・・・
海に向かって・・・

あの日、荒れ狂った海・・・
今は穏やかな海・・・

僕より大先輩の阿部さんには、数えきれない思い出のあるこの気仙沼。

その阿部さんは・・・

何を思い、何を感じ、何を見ながら、笛を吹いているのだろう。。。

雄大で・・・
澄んでいて・・・

綺麗な音色の笛。

僕の視線は海を見て・・・
耳は笛の音に聞き入り・・・

深い何かを感じながら・・・

夢の様な数分間を感じさせて下さった。。。。




夕方5時。

全ての作業を終え、買い出しをし、宿泊場所へ戻った。

銭湯へ行き、身体の汚れと・・・臭いを洗い流し・・・

松原さんの夕食をいただき・・・



生きた心地がした。

帰ってきた・・・気がした。


多少大げさかもしれないが、それほどの言葉で伝えたくなる・・・一日だった。



夕食後、それぞれの班の作業報告。

皆、それぞれが報告した。皆、沢山話す。


(あぁ、これほど話したいんだ。それほどの事を、今日一日、感じて来たんだ。。。)



そんな風に感じながら皆の報告を聞き、


(東京での意見交換や会議の際に、人が話したがらない理由って何だろう?)


と思った。

本当に感じてないから話せないのかも。

本当に感じるべき事が、東京には無いのかも・・・とも思った。


コンクリートで固められ、経済メインの社会で話す事って・・・



動物的本能からすると・・・


全てが『虚無』なのかもしれない。


そう感じていた。






そんな夜は・・・飲むに限った。

久々に飲んだ!

はしゃいで、冗談言って、すぐに酔って・・・



やはり、皆より少し早く・・・


寝袋に潜り込んだ。。。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


5月5日(木)


起床6時半。

今日も松原さんは5時半に起きて朝食の準備をしてくれていた。

お手伝い。お手伝い。


ご飯とみそ汁と納豆。


本当に幸福である。幸福を実感する。


「ごちそうさまでした。」

「ありがとうございました。」



今日の僕の作業は『思い出探し』

唐桑町という場所で津波被害に遭われ、
全てが流されてしまった所での大切な思い出の品を探す作業。


この日は朝からヒンヤリしていた。。。


この日で一足先に帰られる亀井さんご夫婦と、別れの挨拶。
群馬から生鮮野菜を集め、運んで下さった夫妻である。

「また、きっと会おう!」

固く握手して別れた。



午前9時半。
50分程の距離にあると聞いていた唐桑町へは、11人が3台の車に乗り込み出発した。

40分程走っただろうか。

(そろそろ近く迄来てるんじゃないかな?)

と感じた頃に、事故は起きた。


先頭の先導車両は気付かずに行ってしまったのだが、

2台目の加藤事務所さんのバンが上り坂途中でいきなりのバースト。

3台目の僕は急停車し、車を降りた。


案の定、酷いバーストだった。


僕の車の工具を出してはみたものの、
皆、この様な経験は無い者の集団だった。
やれば何とかなったかもしれないが、万が一のため・・・

やはりここは一番頼りになる、松原さんに来ていただこうという事になり、
松原さんに電話した。

『わかりました。すぐに向かいます。』

『良かったぁ・・・』



その間に、僕の車で行ける人はピストンで行く事にした。


3人が残り、8人は現場へ向かった。


言うまでもなく・・・

ここへ来る迄の道程は、紛れも無い被災地の間を走って来た。

どこもかしこも・・・

まだまだ全くの手つかずの家々が溢れていた。



現場はさらに酷かった。

家の形がどこにも無い。


恐らくは田園、田畑があり、一軒一軒の家が適度な距離感で建っていたのだろう。

周囲は山に囲まれている。


リアス式海岸の奥地にあるこの唐桑町の海は・・・

アメリカの片田舎の湖畔を思い起こさせる様な、
それはのどかな、綺麗な風景だったに違いない。


現に、海と山だけを見る分には、充分すぎる程、綺麗で美しい。


しかし、一度その目線を陸にあげると・・・

見渡す限り・・・荒涼とした瓦礫の町になっていた。。。



ピストンで先に入った8人は現場迄徒歩で入り、
僕は事故現場に戻った。


松原さんが早々に到着し、バーストタイアを取り外し、
スペアタイアが取り付けられていた。


『本当にありがとうございます。』


一同、現場へ向かった。


松原さんも現場迄来て下さり、舗装されていない土砂の道路での
帰りの運転、タイヤの事を気にかけて下さった。


「それじゃ、僕は宿泊所の方付けに帰ります。」

そう言った松原さんの表情が、少し淋しそうだった。


(松原さんもきっと、被災現場で直接役に立つ作業がしたいのだろう。
それでも今回の自分の役割は、現場に行って作業する皆さんの「食」をちゃんと管理し、腹を満たす事。
自分の役割に集中し、自我を出さない様にして下さっている姿勢を感じ、感謝せずにはいられない。)

『本当にありがとうございました。』




やっと全員揃い・・・『思い出探し』が始まった。


『思い出探し』と言っても、まず目の前に表れるのは瓦礫である。


瓦礫・・・一言で言うには表現しきれない。


千切れて曲がっているトタン。
途中で折れている家の柱や窓枠等の木。
流木。
畑の土に植わったままのネギの集団。
壊れた家具。
椅子。
海のブイ。
海藻。
破れた衣服。
靴。
大小のガラスの破片。
カーテンレールやボロボロのカーテン。
土。
紙類。





そんな中から時折出て来る、

写真。
泥だらけの手紙。
本。
割れていたり、全くの無傷だったりする食器。
バインダー。
名前の書いてあるランドセル。
人形。
財布。
サッカーボール。
漁具の類。
子供服。






それにしても途方に暮れる。

ここだけでも、東京ドームより遥かに広い範囲に津波で運ばれてしまっている。

11人なんて・・・少なすぎる。。。

それも瓦礫の類をどかしながらの作業は遅々として進まない。


津波によって無作為に運ばれた大きな流木は行く手を遮る。

どかそうにも何でも絡まっていてびくともしない。



それでも時折『ふっ』と出てくる思い出と思しき品を目にすると、


(やった。みつかった。)


と、ココロにほんの少しの充足感が生まれる。

そして、また次を探す。

繰り返し繰り返し。



一人やご家族の方々だけよりはましなのだろうけど・・・

(もっと一気に、大勢で取り組めば、まだまだ多くの『思いで』が見つかるだろうな。)

と思ってしまう。



松原さんのオニルギン昼食をいただき・・・



午後も探す。



天気は曇り空。

5月とは思えない程肌寒い。



午後3時半。

ここでも満潮の時間になった。

見ると入り江から続く川の水かさが、もう地上スレスレまで上がって来ている。

場所によっては溢れ出て、沼地の様になっている所もある。



(これが現実なんだ。何も終わっていない。日々、浸水している。)



「そろそろ引き上げよう。」という事になり、

車を止めてある所まで移動し、


「たいしたお力にもなれませんでした。」

と言った僕に、依頼してくれたお母様は、それでも大変喜んで下さった。


「皆さんのお陰様で、沢山見つかりました。」



この区域には、そろそろ自衛隊が入るらしい。
重機も入る事になる。

そうすれば瓦礫の撤去は飛躍的に早く進むことだろう。

しかし、その瓦礫の下に埋もれている、小さな小さな『思いで』を見つけるのは・・・

やはり人間の手作業でしか進められない。


時間はかかるが、丁寧とは、そう言う事なのだと思う。



「時間の節約」って、何の為にあるのだろう。。。


そんな事・・・考えながら宿泊場所への帰路についた。




今日は最終日。

有志の8人は残ってGWいっぱい作業を続けるという。

残りの14名はこれで帰京。

帰京組は準備をし、それぞれ別れの挨拶をし、車両に分かれ・・・


出発。

気仙沼の地を後にした。






最終日は温泉で疲労を癒してから帰京する。

今回はその予定を組んでの活動だった。


もちろん遊びに来た訳では全く無いが・・・

活動した自身への労いは必要と思う。



一関インター近く、桃の湯。

大きな施設で、バイキングの夕食もあり、久々にゆったり出来た。


疲れを癒す事ができる幸福。

気仙沼だけでは無い。

可能なだけ早く、被災された方々が癒される時が来ます様に。。。


気持ちを新たに・・・


東京に向けて出発した。



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5月6日(金)



途中、長者原SAで3時間程の仮眠。


東京へは朝の7時。


無事に到着した。

他の皆も三々五々、無事に到着した様だった。


何はともあれ・・・

無事に今回の支援活動を終えられた事に、感謝致します。


ありがとうございました。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


5月9日(月)


残り組8名。無事帰京。



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ー3度の気仙沼復興支援活動を経てー



311以降・・・

3度の気仙沼支援活動を行わせていただきました。



311・・・

全てはこの日、あの揺れから始った。

徒歩・ヒッチハイクで、やっとの思いで帰宅。

自宅でTVをつけ、燃えている気仙沼が映っていた。


『えっ!!!まさか・・・・・・・・・・』


信じられなかった。


twitterで気仙沼の知人の救助を求め、
3日後に、その知人の病院から、多くの方が自衛隊のヘリで救助される模様を見た。

自分にも何か出来るんだ。と感じた瞬間だった。


NPO法人CARE-WAVEに籍を置く僕は、理事長との電話で言った。


『行った事も無い、どこかの国で起きている飢餓・貧困・戦争を歌って踊って訴えるのもいいけど、
今、この日本で、人類史上最悪の事態が起きてしまっている。
この現実を無視して、ボランティアミュージカルなんて有り得ない。
しかも、これまでの公演には気仙沼のうを座の子供達も毎回参加してくれている。
ボランティアするNPOなら、気仙沼に行き、出来る事しましょう。』


理事長は『私もそう思っている。全く同感。』

そこからの始まりだった。


この2ヶ月・・・


明けても暮れても、気仙沼の事と、支援活動の事ばかり考えていた。
考えていただけではない。その準備、心構え、活動内容・・・

情報を調べ、集め、共有してきた。



僕たちは自衛隊では無い。こういったボランティア活動に慣れている訳でもない。
わからない事だらけ。
しかし、『被災者の方々の迷惑になる事、お気使いをさせてしまう事だけは避けなければならない。』
そう強く心に決めていた。

しかし、やはり反省点は多かった。
500kmという・・・あれだけ広大な被災地では、
何もかもが無力に、いや、微力にしかならないと痛感した。

しかし、その微力の積み重ね、継続こそが大事なんだ。

とも思った。




僕は、これまでに3度、CARE-WAVE AID公演にボランティアで出演してきた。

貴重な体験をさせて戴いた。

そして今回の復興支援活動も3度いかせていただいた。

うを座の子供達と3度共演させていただいていたから。


僕個人は、ここで一つの区切りをつける事にした。


僕は福島県にも映画の仲間が今も生活している。

来月には岩手県にも入る事にした。

被災地は青森から千葉まで500kmに及んでいるのだ。

新幹線の東京〜大阪間の太平洋側全てが被災している距離だ。


仕事を抱えながら、稽古をしながらなので自由は利かないが、

出来うる事をして行きたいと思っている。



CARE-WAVEにとっては気仙沼は大切な仲間の町。

これからも継続的支援活動を願っている。




kairindian
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by indian_joe714 | 2011-05-16 03:22 | 復興支援 | Trackback | Comments(0)
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