Aho Mitakue Oyashin !! Ho oponopono !! Native Yamato -kairindian's blog!!- このブログは成田浬(カイリ)本人が書いています。勝手ながら記事へのコメントは承認制にしております。


by kairindian "indian_joe714"

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kairindian's・・・

2011、3、11・・・
東日本大震災により被災されました皆様に心よりお見舞い申し上げます。

また、この震災で失われてしまいました多くの方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。



この未曾有の大震災、並びに終息の見えない福島第一原発事故による多大な被災は、現在の日本・人類・世界への、地球や太陽系からの強烈なメッセージと受け止めております。


先ず、第一に放射性物質拡散に依る二次被害の収束、そして一日も早い東北・東日本の復興を願い、そして地球や太陽系の望む、未来の日本・人類・世界の「真の幸福」のために、役者・ナレーター・講師として、何より人として、微力ながら出来る事をして参る所存です。


2011、5、31
kairindian


『人の都合より自然の摂理を尊重し、地球を母、動物・植物を兄姉と敬い、大いなる神秘との出会いの為に。』


大いなる必然の神秘と出会う旅。。。


みんなが幸福になること。

大切なのは、みんなが幸福になること!

ーkairindianー

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再び・・・気仙沼支援物資搬送・復興作業を終えて-詳細2-

前回より続き・・・



4月13日(水)


早朝5時45分起床。
SAで朝食を取り、歯を磨き、ガソリンを満タンに。

6時30分。無事に名古屋チームと合流し気仙沼へ向けて出発。

一関IC でバンが先頭になり通行証を提示し、
他の車両にも適用される様に頼んでみたが、あえなく却下。
(とは言っても、帰京してから必要書類を作成して申請すれば、
適用も可能との事。手間はかかってしまうけど、助かる対応。)

気仙沼のトイレ事情もハッキリわからないので、インター出口の
たった一つしかないトイレへ・・・

全員並んで、随分時間をロスしてしまった。


気仙沼には9時半過ぎに到着。

2週間前にも顔を合わせた『うを座』の面々が待っていてくれた。
いや・・・待たせてしまった。m(_ _)m


早速、2tトラック、バン、2tコンテナ、バンの物資を、
皆で協力し積み降ろし。

物資事に番号をふっていたので、非情にわかり易かった。
前回から学んだ事。

これから今日の搬送先事に物資の仕分け作業に入るのだが・・・


ここで昨夜の問題が出てきた。

蔵王PAに置き去りにされている名古屋チームの2tトラック。
この2tトラックには気仙沼ではなく、南三陸へ運ぶ物資が満載されている。

相談の結果、僕がこちらの2tトラックを運転し、名古屋の2tの荷物を積み替え、
南三陸へ向かう事に。

気仙沼の方々と会えず、物資と気持ちを直接手渡し出来ないのは心残りだったが、
それは残った皆に託す事にして・・・


名古屋チームの伊藤さん、齋藤さんは2tコンテナで、
僕の2tトラックには秋田さん、宮脇さんが同乗し、
再び東北道を、南へ80km下るため出発した。

ーーーーーーーーーーーーーーー

同乗の秋田さんはRUN FOR PEACEの代表。
走る事でファンドレイジングするという、楽しく、賢く、健康な団体!

宮脇さんは、仙台で住宅関係の仕事をされているが、休みを利用し、
今回はお手伝いでかけつけてくれた若者。

遠くは宮城県で・・・
初対面の名古屋の女性と、仙台の若者と、東京の僕が、トラックの最前部に並んで走る。


『正面から見たら面白い光景だろうなぁ・・・』

なんて思いながら走った。


道中、いろんな話しをしながら、語りながら・・・

秋田さんはかなりのスピリチャルな方で、アセンションの話し、マヤの話し、これからの世界の話し・・・
決して人に強要しない、穏やかな口調で、でも芯のしっかりとある、やさしい空気に包まれた方でした。


宮脇君は、始めこそじっと人の話しを聞く、返事のしっかりした、体育会系?な気持ちのいい男子。だった。
だが・・・やはり彼も、19歳の時、四国へ単身お遍路の旅に出ていた。
海外旅行や浮いた旅ではなく、四国へお遍路。しかも19歳で。
その話しをしてくれた。
彼の言葉には、やはりしっかりと芯の通った、そして地に足をしっかりつけてこその、
未来への希望が込められていた。


僕も随分とおしゃべりをしたようだけど・・・笑


今回の状況と場所・・・も大きく影響はしている事だろう。
それでも、こうして昨日まで知らなかった人と出会い、
様々な話しが出来る幸福、発見・・・

『これもまた、大きな運命の流れの中で、出会わせていただいているんだな。』

僕は不思議な縁に感謝し、意義深い流れに感動していた。

ーーーーーーーーーーーーーーー

途中、長者原SAで昼食を取り、蔵王PAへ到着。

高熱でグッタリと倒れ込んでいる様な2tトラックから積み替え作業。

終了後、南三陸へ向けて出発。

ナビは宮城県の宮脇君がかって出てくれたので助かった。

仙台南部道路から仙台東部道路を北上して走った。


高速の右手には・・・永遠と続く太平洋岸。


仙台空港付近から〜宮城野区・・・

荒浜・・・

仙台港・・・

多賀城市・・・

塩竈市・・・

松島市・・・

東松島市・・・

石巻市・・・

牡鹿半島・・・

女川・・・

北上川を越え・・・

志津川・・・

そして

南三陸町・・・



2〜3時間は走ったろうか・・・。

その間、およそ90km。


海岸線を走っていた訳ではない。

高速を走っていた。

それでも高速の下まで・・・

場所によっては高速を超えて左手にまで・・・


津波は来ていた。。。


高速の右手は、遥か彼方の海岸線は・・・

誰もがニュースで見ている、あの惨状。。。


『こんなところまで・・・・・・これだけの広大な大地を全て・・・・・・』


『これだけでも・・・宮城県の一部なんだ。』



青森県、岩手県、福島県、茨城県、千葉県。

この一つ一つの市が、町が、どこもあの惨状なのだ。


『500kmに及ぶ東日本の太平洋岸が、壊滅しているんだ。』



農業と漁業の日本が・・・



加えて東京電力福島第一原子力発電所の爆発。

今でも毎日放出され続けている、精製したての新鮮な放射性物質。



・・・途方に暮れる。



そんな事を感じながら・・・考えながら・・・

南三陸町に入って行った。



南三陸町を山の方から入って行ったのだが・・・

まだ海も見えない所で、すでに全てが流されている光景が飛び込んできた。




『ここもか・・・』



頭ではわかっていても、こうして見せつけられると、新たなショックが生まれる。


ショック・・・

一言でショックと言ってしまうが、[ショック]とは・・・その影響は想像以上に大きい。



壊滅している町の中、屋上にアンテナのあるコンクリート3階建ての建物が建っていた。
窓ガラスは全て割れ、津波の通過点であった事は明らかだった。


『防災庁舎の建物です。』

宮脇君が教えてくれた。

『防災庁舎ってあの・・・?』


震災後のtwitterで、僕の所へも入ってきた。
何度も何度も耳にし、その都度、涙した。


『ここだったのか・・・・・・・・・・』


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


宮城県南三陸町役場、危機管理課の遠藤未希(えんどうみき)さん。24歳。
遠藤未希さんは大津波に襲われる最中、防災庁舎の中、防災無線を通して、
大津波警報を発し続けていた。アナウンスし続けた。

「大津波がきます!急いで、高台へ避難して下さい!」

大津波は防災庁舎をも襲い・・・

最後までアナウンスしていた遠藤未希さんは、未だ行方不明のまま。
今年、結婚したばかりで、9月には結婚式と披露宴を開く予定だった。。。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


あの防災庁舎のボロボロに残っていた光景は、決して忘れる事は出来ないだろう。


涙が溢れてきて...


辛い光景だった。


『未希さん!本当にありがとうございました。きっと御陰様で助かった方が沢山います。
本当に恐ろしく、さぞや怖かった事と思いますが、未希さんが最後まで精一杯頑張った事は、
遠く離れた東京の僕にさえ届いています。どうぞ・・・どうぞ、今は、ゆっくりとお休み下さい。
最後まで、本当に、ありがとうございました。』



溢れ出ようとする涙を噛み締め、心の中で合掌した。




車は南三陸町の被害地を抜け、高台へと進んだ。
ここでは電気の復旧は未だされていず、信号機も点いていない。

運転者はゆずり合いで運転している。

やがて目的地である、三浦さんのお宅に到着した。

2tの物資を皆で下ろし、三浦さん宅の倉庫に搬入した。

三浦さんとのしばしの立ち話があった。


三浦さんのお宅へはRUN FOR PEACEのお手伝いと思っていたので、
僕は少し離れた所で耳だけ傾けていた。

印象に残った三浦さんの言葉は・・・

『こうして物資を届けてもらう事は本当に感謝しているし助かっている。
しかし、もらう事に慣れてしまって、助けてもらう事に慣れてしまったら、
この町は本当に立ち上がれなくなってしまう。
こうして助けてもらいながら、何とか自分達で立ち上がり、仕事を作って行かなきゃいけない。
今はそう考えているところです。』

それを聞いて僕は、

『僕らよそ者の出来る事はたかがしれている。
放っておけないから出来る事はさせて戴きたいけど、
この町で生まれ育ち、愛着があり、思い出があり、この町を愛している人達でなければ、
本当の復興は出来ないだろう。
三浦さんの様な方が居て、協力者が居て、自らの力で立ち上がって欲しい。
その為だけに、僕は出来る事だけする。そして先が見えたら応援する。
「小さな親切大きなお世話」になる事だけは気をつける。』


とココロに刻んだ。



陽も沈み、辺りは暗くなり、肌寒くなっていた。


気仙沼へ向けての帰路についた。


気仙沼ではcareチームが待っていてくれた。
驚いた事に我々の拠点の目の前のラーメン屋さんが開店していて皆そこにいた。

温かいラーメンを食べて、大満足。美味しかったー!


被災地のお店でご飯を食べる事・・・もちろん考えた。

それでも営業しているなら、食べて、経済をまわす事に協力するのも、
大事な復興の手助けになるのでは・・・?

三浦さんの言葉もあったので・・・
ラーメン屋さんの女将さんに感謝し、応援の言葉を残し・・・

今夜の宿泊場所の駐車場へ移動した。


駐車場ではRUN FOR PEACEチームがバンの後ろを開けて、ガスコンロでお湯を沸かし、
ウィスキーのお湯割りを勧めてくれた。

さながら「オープン・バン・BAR」といったところだろうか。


身体の芯から温まり、明日の作業の鋭気を養うため・・・

今夜も寝袋にくるまった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

4月14日(木)

車中泊にも慣れてきた。
公衆トイレもあったので・・・助かった。

朝6時半には起床し、朝の新鮮な空気を全身に吸い込んだ。
東京とは違う、宮城県の新鮮な空気・・・


「この新鮮な空気にも、放射性物質が混じってるのか・・・」

ここでも頭の中を、よぎりたくもない事がよぎる。


今は考えても仕方ない。と割り切り、持参したガスコンロに火をつける。
段ボールで周囲を囲ったが、風が強くすぐに消えてしまうが、
何度もチャレンジしているうちに・・・お湯が沸いていた。

朝のcoffee一杯。

気持ちが安らいだ。


8時半。
ボランティアセンターへ向けて出発。
先導していた車が道を間違えてくれたお陰で、
前回にお世話になった小野寺さんと会う事が出来た。

目と目で交わした会話。
固い握手。

涙が溢れそうになった。。。


3・4日前から、気仙沼市でもようやく県外ボランティアの受け入れが始まっていた。
集まっていたボランティアの人達。80名だった。

ボランティアセンターの方々もまだまだ慣れていない様だ。
何もかもが初体験。

あれだけの地震・・・津波・・・被害・・・

行き先も決まり、ネコ(1輪車)3台、スコップ8本、バケツ3個、ほうき3本、他・・・
を積み込み、2台のバンに乗り込んだ。


21歳の時の、工事現場のバイトに出発する光景に似ていた。


現場に到着。
一軒の大きなお宅だった。

95歳の男性が一人でお住まいになっている家だそうだ。
家人は無事に避難し現在は避難所生活を送っているそう。

「命が無事で良かった。」

リーダーの小野寺さん
(前述の小野寺さんとは別人。県内ボランティアの方。宮城県には小野寺姓が多いらしい)
の指揮で作業が始まる。

床下のヘドロの排出作業。
汲んでも汲んでも出てくるヘドロ。

結局一日中、部屋、庭のヘドロの掻き出しだった。


ヘドロ・・・
ひとくちにヘドロと言ってしまうが、それはありとあらゆるモノを破壊し、
飲み込んだ津波が押し寄せ、運び込んだモノ。

魚・海藻・ビニール栽培のビニール・ガラスの破片・木片・鉄片・誰かの思い出の品・食べ物・
薬品のビン・その中身・土・砂・洋服の切れ端・海水・油・・・・・

そんなヘドロの中から・・・


生きたカニが出てきた。


横歩きで出てきた。


ヘドロの中で生きていた!


生物の生命力に驚き・・・感動した。


カニでも嬉しかった。


自分が蟹座だからかもしれないけど、嬉しかった。



ヘドロを掻き出し、袋に積め、50キロ程に膨れ上がった袋を運び、捨てる。
ヘドロを掻き出し、ネコに乗せ、運び、捨てる。


何度繰り返し、往復しただろう。


午後3時。

今日の作業の終了時間。


確かに、ヘドロを掻き出した分だけ綺麗になった。

しかし、このお宅だけでもまだまだ何日かやらなければならない。

隣のお宅はまだ手つかず。その隣りのお宅も、またそのお隣の・・・


見渡せば、「何年かかるんだ・・・」

と言いたくなる程、無数の家・・・

トラックが2台突き出ている家。電柱がのしかかっている家。車が乗っかっている家。


まだまだ何もだ・・・


果てしなく感じた。


とにかく、人出だ。人出が足りない。

関東より西の人間全員がやってきて、全員でやってもまだまだだ。

と思える程の被害。


重機での作業には限界がある。
最終的には手作業でしか成し得ない。


人出が足りない。


東京に帰ったら、声をかけよう。
次は人出だ。


そして、今回の気仙沼支援活動は終わった。




帰路・・・

一関IC手前の岩手県の高台の温泉へ立ち寄り、へドロまみれの身体を洗った。
気持ち良かった。スッキリした。これで東京まで気持ちを入れ替えて運転出来る!

被災者の方々の中には、簡単にお風呂にも入れない方々が大勢いる。
入りたい時にお風呂に入れて、寝たい所で寝れて、食べたいものを食べれる幸せ。

この当たり前の幸福を、1日でも早く、1人でも多くの人が実感出来る様に。

今、やれる事をやる。

改めてそう思い・・・

帰京への道に。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


4月15日(金)


途中、栃木県の上河内SAで最後の車中仮眠。

朝5時に起床。

無事に帰京し、返却すべきものを返却し、部屋に帰り・・・


ホッとした。



被災地の方々にも、早く・・・


ホッとして欲しい。



『次は、人出だ。。。』



kairindian
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by indian_joe714 | 2011-04-25 03:34 | 復興支援 | Trackback | Comments(0)
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